〜亡き王女のための
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「ステラ・ポラリス(北極星)」旧ノルウェー・ベルゲンラインのクルーズ客船
【竣工時の要目】
総トン数 5,056トン
全長130.4m(バウスプリットを含む)
垂線間長118.8m
最大幅 15.4m
吃水5.5m
主機バーマイスター&ウェイン製ディーゼル機関2基
出力5,200馬力
2軸1舵
航海速力15ノット
旅客(単一等級)定員198名
1925年 ノルウェーのベルゲンライン社がスウェーデンのエーテボリのイェータ・ベルケン造船所に発注
1925年11月9日 イェータ・ベルケン造船所100番船として進水、ステラポラリス(北極星)と命名される。
1927年2月20日 ステラポラリス竣工
同月24日 引き渡し
1927年2月26日 処女航海。エーテボリからロンドンに向け乗客140名を乗せて出発。
世界一周旅行のクルーズなどに活躍。
1940年 ナチスドイツのノルウェー侵攻でステラポラリスはナルビクで接収される。
船体は灰色に塗られ士官クラブとして利用された。1945年 ドイツの敗戦とともにステラポラリスはノルウェーに返還。
1951年 スウェーデンのクリッパーラインに売却。
1969年 旅客船の安全規則SOLASの改訂により、アメリカはその規定を満たして
いない客船の寄港を拒否を決定。
ステラポラリスはクルーズ船として就航不可能となる。1969年11月 日本での保存(伊豆箱根鉄道が購入)が決まりリスボンを出航、12月に横須賀に入港。
シャフトとスクリューを切り離し、洋上ホテルへ改装。1970年7月 フローティングホテル・スカンジナビア営業開始
2005年3月31日 フローティングホテル・スカンジナビアの営業を終了、
保存運動が盛んになるが難航。2006年8月 スウェーデンの会社ペトロファースト社に売却決定。
同月31日 昭英海運(長崎市元船町)所有の第10英祥丸(藤本政文船長、乗員7人、188トン)に
曳航され上海(9月7日入港後修理予定)に向かう。同年9月1日 引航中の1日午後9時頃、船体が突然左に傾き始める
同11時半頃 状態を確かめるため、いったん串本町潮岬西側の入江に入る。
しかし、浸水は収まらず徐々に傾斜。同月2日 午前1時半頃、入江での沈没を避けるため再び沖合へ向かい。
同2時ごろ、深さ約72メートルの海底に沈没し、約80年の長い生涯を終えた。
さて、PUNIP画伯御大のステラポラリス嬢もこちらにて!
美しくも可憐。。。。
その後についてコチラで紹介されていました。
こちらは、西武グループの変遷を追っていらっしゃるH.FUK.さんのHP記事
これは、非常に良い資料ですね。
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