ヴァイオリン協奏曲「梁山泊と祝英台(蝶の恋人達)」

本当にちょっと恥ずかしいけどそこが恍惚

中国の芸術を見てきてちょっと想いだしたのが、この曲。
ヴァイオリン協奏曲とは銘打っているが、物語の語り部としての独奏ヴァイオリンであって、もちろん技巧的なところはあるけど、一般的な協奏曲ではないと言える。タイトルからも分かるとおり、これは標題音楽である。
で、なにがお題かというと、「梁山泊と祝英台」という恋物語。ちょっと長くなるがなかなか魅力的な話のなのでライナーノートから要約してここに記しておこう。

梁山泊は、あの水滸伝のアレではない。それぞれ学問を志す青年「梁山泊」と少女「祝英台」という二人が主人公。
良家の子女だった祝英台は、父親の反対を押し切り「男装し女とばれないことを条件」に1年だけの勉学のため杭州の書館に入塾します。ここで素朴で優しい青年・梁山泊と出会い親交を深めて祝英台は恋に落ちる。
しかし、男装している祝英台は、告白を出来ず苦しみ、逆に見た目男である祝英台に梁山泊は恋をしたことに苦しむ。
そうこうしているうちに1年が過ぎ、祝英台は実家にかえる日が来る。二人は、心が張り裂けるような思いで別れを惜しむが、祝英台は例え話で自分が本当は女であり梁山泊と結ばれたい事をほのめかすが、素朴な梁山泊はこれに気づかず、祝英台は自分を描いた一幅の絵を「私の双子の妹です、もし気に入ったら嫁にして下さい。」と彼に渡す。その夜悲しむ梁山泊は、絵の片隅に「祝英台」の名を見つけ、祝英台の本当の姿と想いを漸く気づくことが出来た。梁山泊は早速彼女を追いかけてゆくが、時既に遅し、祝英台は父が用意した結婚話により名門・馬家に嫁ぐことが決まっていたのだった。。。
梁山泊は、父に冷たくあしらわれ、失意の梁山泊は楼台で祝英台と密会し、二人は互いの熱い思いを打ち明ける。しかし、二人は結ばれることはかなわず、失意の梁山泊は程なく病に倒れこの夜を去る。
婚礼の日、祝英台は梁山泊の墓を見たいとせがみ、父は不憫に思ってその希望を入れるのですが、花嫁衣装の祝英台が墓前に来ると一天にわかに曇り激しい雷雨に打たれて梁山泊の墓が真っ二つになる。恐れおののく人々を前に、祝英台は墓の裂け目に身を投じ、墓は再び閉じてしまい、2度と開かれることはなかった。
そして、ただ2匹の蝶が嵐の去った虹の架け橋をまるでふたりの魂のように楽しいそうに舞うばかりであった。
(NAXOS8.554334「中国万民の心の琴線「梁山泊と祝英台」」よりの抜粋・要約)

そうそう、この曲はこのストーリーもさることながら

うち続く戦乱と近代化によって廃れ出した民間説唱芸能を、陳剛と何占豪という上海音楽院の青年二人が1959年「中体西用」思想で胡弓をヴァイオリンに、伴奏を管弦楽に、越劇の音調を基調に作曲。しかし、文化大革命によって心血を注いだ名曲は日の目を見ないまま混乱した状況が長く続く。1970年西山崇子が発掘し発表、反響を巻き起こす。
(NAXOS8.554334「中国万民の心の琴線「梁山泊と祝英台」」よりの抜粋・要約)

いろいろ、あるんです、いろいろ。。。

音楽は全編甘いメロディーと中国的空気に満たされたもの。どこをとっても優しい美しい曲で、純粋に恍惚です。
構成的にも単一楽章としているが、ストーリーに沿った部分部分を持つため4の楽章別けもできるか。
これももっと評価されて聞かれて良い、名曲かと。

陳鋼/何占豪:ヴァイオリン協奏曲「梁山伯と祝英台」 (西崎崇子/上海音楽院)

陳鋼/何占豪:ヴァイオリン協奏曲「梁山伯と祝英台」 (西崎崇子/上海音楽院)