南極観測船「間宮」復刻版絵はがき

LNM画伯艦長より入電!!サンクスです^^

HMS.Nessie手動航跡記録機ネタ、LNM画伯艦長より勿体なくも頂いてしまいました。
ありがとうございます!

昭和32年初頭、南極、東オングル島付近の海氷上における砕氷船「間宮」


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【要目(改造完了時)】

総トン数:6,200t

全長:116m

全幅:19.5m

速度:17kt

機関:ディーゼル2基2軸

出力:8400馬力

航続距離:14ktで20,000浬

砕氷能力:連続;1m/3kt 最大;1.5m

搭載機:ヘリコプター2機(格納庫) 飛行機1機(分解)

貨物積載量:1000t

【経歴】


 間宮は日本郵船所属の貨客船「高島丸」として、昭和16年7月に完成した。
 北海道・樺太航路への就航を想定しており、本格的な砕氷能力を有していた同船は、昭和17年2月、陸軍に徴用され、千島列島方面への軍需品及び住民への生活物資輸送に従事した。
 昭和19年6月13日、北千島占守島より北海道小樽への航海中*3、国籍不明の潜水艦*4による雷撃を受け、魚雷一本が命中*5し中破*6した。辛うじて稚内港まで辿り着くことができたものの、港内にて着底、そのまま終戦を迎えた。
 昭和21年、修理可能な船舶としては比較的大型であった同船は速やかに浮揚修理され、引き揚げ輸送に従事した後、日本郵船籍に復帰し、近海航路で活躍していた。
 昭和30年、南極観測の実施が決定された際、使用する観測船としては海上保安庁の灯台補給船「宗谷」が候補に挙げられたが、船体が過小に過ぎることから、日本郵船の「高島丸」を使用することに決定された。
 昭和31年11月の出発までは極めて短い期間しかなかったものの、高島丸は日本鋼管浅野船渠にて大々的な改装工事を受け、船名も「間宮」と改められた。


確かに宗谷よりも一回り大きいので、きっと有用な砕氷船だったのでしょね!
南極行ってみて〜〜〜

重ねてありがとうございます、画伯艦長!!