#1 前 書 

是何故今頃訪泰也?

切っ掛けは、トンブリーというおかしな名前のしかも姿も妙ちくりんな海防艦が、雑誌に取り上げられていたことに遡る。
この2200tくらいの小さな船体に20cm連装砲を前後に2基という重装備、まるで青葉型巡洋艦の艦橋前後を短く切り取って船首と船尾を無理矢理繋げた戦闘艦に、犬の種類にパグっているけどあんなような面白さを感じたのだった。
そしてこれは日本で造船されたもので、しかもその艦橋と砲塔がそっくりタイに残って展示されているという。その様子の写真もまたなんとも不思議な様相で興味は募るばかりだった。

さて、

現在、戦前に作られた日本製の砲塡兵器搭載艦船で全姿を留めたものは日本に一隻も残っていない。
唯一、三笠と今は解体されてしまったこじま(海防艦 志賀)があったが、前者は船体を除いてほとんどが戦後再現されたものであり、後者は平成10年2月に解体されてしまった。

当時は、保存船舶にようやく興味の目を向けていた時期であったが、こじまはついつい毎日に忙殺されて見には行かなかった。
後日、解体される計画を知ったが、なかなか足が出ずそうこうしているうちにいつの間にかこじまは消えてしまったのだった。

そのうち、あるMLを切っ掛けにさる保存船舶研究家N先生と知り合うことが出来て、段々、保存船舶に興味を持つようになった。当時、ナショナルトラスト運動などや、近代産業遺産保全のあり方も、仕事に絡めて興味深く思っていたのでそういう方向性とも合致していたのだ。
ただ、やはり仕事のため転々と各地を歩かねばならず、結局、腰を落ち着けて何もやることが出来ず、茨城県那珂湊市(現 ひたちなか市)の常陽丸や小名浜の軍艦防波堤などの取材を簡単にしていただけだった。
これらは、以前このブログでも取り上げているので覚えがある人もあるはずだ。

8年の歳月は彼女を蝕んでいったのだ。。。 - 縹渺舎

小名浜にて - 縹渺舎

特に小名浜の汐風、澤風の残滓は、胸に焼き付くような虚無感を覚えたものだ。

急速に便利になり消費されて行く現代社会では、古くて使えない機械や道具はただゴミになって往くばかり、それを使った想いなど当事者も居なくなれば、あっという間に消されてしまうのだ。

なのに、遠く海の向こうの国に 今も大切に保存されているトンブリー。。。。。

この差はいったい何なんだろう?

あの大戦争をやらかした我が国の まるで戦争の遺構など保存する価値も無いといった態勢は本当に何時までもこれでよいのだろうか?

氷川丸日本丸、宗谷など貴重な保存船舶を勉強するにつれ、トンブリーたんへの不可解な疑問は深まるばかりだった。。

そこへ、数年前から新しく建設されるタイ国際空港の仕事で友人がバンコクに滞在するようになり、しきりに私に遊びに来るように勧めてきた。
お誘いを最初に受けたのは2年前近くなるか。
ただ、多忙さにまともに長期にわたる休みを取れる状態では無かった私は、生唾を飲み込みながらただ「いつか往くから」と返事するばかりであったのだ。
しかし、とうとう空港建設は終わり、彼もタイ常駐をしないようになるとの話になった。普通の観光地ではないトンブリーを訪れるのは、現地に詳しい者が居ないととてもムリだろう。焦った自分は一度は昨年11月に出かける決心をしたが、仕事が続いて断念。チャンスを年明けに狙いながら色々調べて行くと、何と!全体が残っている日本製の戦闘艦が有ると言うではないか!それが多目的練習艦(スループ)メークォンだった。

トンブリーにメークォン。

是は絶対に見に行かねばならない。
そうしないと、こじまを見逃したあの時と同じ臍を噛むことになる!!

仕事の調整をしながら、タイの友人とそのオフィスにいるタイ人の協力者にお願いして これらの艦艇を見るための情報と手筈を整えて貰った結果、とうとう出かけることが可能になった私は、即座にH.I.S.のネット申込でタイの往復切符を購入したのだった。