彼方からの閃光 #8

 今井が再び息せき切って弾道管制室に戻ると、渡邉副長の手配であろう、既に新顔の水兵三名が操作卓の前で通信兵に何やら説明を受けていた。開いたハッチドアに立つ今井を全員がこちらを軽く驚いた様子で見た。
「今井大尉。」面長でひょろりと背の高い水兵がまず今井に敬礼し、ついで他の二名もそれにならった。
「あ、お手伝いだね。ありがとう。」
「第三分隊発令所附櫻井千一上等兵であります。高柳少佐の元で働かせて頂いております。」
つかつかと近づいてくると櫻井はかなりの背の高さで、身の丈は六尺五寸はあるだろう、しかし、猫背でひょこひょこと割に威圧感も無い痩せ男だった。
「ああ、宜しく頼む。」
「なんなりとご命令を。私は電機専門学校出でこのような機器類の扱いは最も得意であります。ここの装置は凄いですね。いやー、やりがいがあります。」
素っ頓狂でデカイ声、自信たっぷりの得意顔で櫻井は、再び敬礼しニヤリとした。次いで他の2名もそれぞれ澤畠、小嶋と自己紹介をしてきたが、いずれも実直そうな水兵であった。こちらは角谷運用長からの派遣だ。
「御苦労。ええ、この部署は非常にデリケイトな機器類が並んでおる。この戦闘時に君らがやることは、いわゆるテコであるから、金山兵曹、板見上等兵について邪魔にならないように補助をすること。以上」
今井の言葉の奥にあるなにか突っ慳貪な響きを感じたのか、すこし怪訝な顔をして新入り達は敬礼を返して、再び操作卓の方へと向き直って古株通信兵に説明を受け出した。今井とは違って見たところ、金山も板見も歓迎しているようではあった。
今井はほんのちょっと、そんな彼らを腰に手を当てて見ていたが、すぐにくるりと目線を直し、「黒い椅子」に静かに様子を窺っていた伊吹に低く囁いた。
「どうでしたか?」
「ええ、「矢矧」も兄も見ることが出来ました。徳村兵曹にお借りしたツアイスの双眼鏡はよく見えましたよ。」
 伊吹は顔をふんわりとほころばせて答えた。
「それは良かった!「矢矧」はともかくも、お兄さんも見受けられたんですか、それはそれは!」
「ありがとうございました、今井大尉。」
「お兄様に御武勇と御幸運を!」
 今井はそういって手にした書類を自分の事務机にしまい込み、次に計器類をぐるっと見回した。なにもかも今は順調だ。
「ちょっとにぎやかになって私は嬉しいですわ。」
伊吹は、ひょいと小首を傾けてその涼やかな眼差しを操作卓に向かっている五人の水兵に向け、感心したように言った。
「そうですか。」
「どうしました、大尉?なにかご機嫌悪いようですね。」
「そんなことはないですよ。気にしないで下さい。」
「艦橋ではいかがでした?」
「あ、そうそう、ちょっとだけいくつか今までの戦法に変更があります。」
 今井は、壁面に掛けられている小さな黒板に向き直り、作戦室で決定した雷撃機のような低空の侵入に対する迎撃方法について、三段階砲撃を四段階に変更することと、敵機の前方遮断のため初弾起爆タイミングが早くなることの二点を細かく図示して説明した。
「准尉、どうかな?」
「大丈夫です。そんなに難しくないと想います。」
 伊吹は動じた風もなくニコリと微笑んだ。
「お兄様を守るためにも一緒に頑張りましょう!准尉。」
「はい!」
 伊吹の声は明るくて何の曇りもないように澄んでいた。


 
 見張員が西の水平線遙かに一機敵の飛行艇が飛んでいるのを見つけたのは士官達が作戦室から戻ってくる途中だった。触接は潜水艦により既になされていたことであるし、敵はこちらの動向を完全に掌握しているだろうから、今更飛行艇を見てもあまり驚く事もないのだが、それでも何となくつけ回されているのは気分がよいものではない。黙ってみているのも癪だと、あまり期待しないで渡邉が意見をはいた。
「艦長、砲撃しますか。」
案の定、あまり気乗りしない返事が返ってきた。
「弾が勿体ないしなぁ。」
 森下は新しい煙草を点け直した。距離的にもここから視認出来る1万メートルで副砲高角砲はお呼びではなかった。
 と、左右から二機の先の砲撃前に発信した零艦がゆっくりと翼を振りつつ、本艦に反航して飛んでいった。彼らは、天候が悪くて飛行に差し障りがあるので、そろそろお役ご免になりつつあった。森下は、両機に九州に帰還するように伝え、発光信号で別れを告げた。二機の零艦は、くるりと旋回したと想うと、急速に上昇を始めて、やがて低くたれ込めた雲の中へと消えていった。なにか取り残されたような妙な孤独感が艦橋の誰もは感じたが、すぐに彼らが長い帰投への苦難と緊張の道のりを無事帰ってくれる事への祈りに替わった。
 彼らが消えて、数十秒ほどしたときであろうか、
『電探に感あり!敵編隊っ 距離一六〇 方位二七〇』
 伝声管から大きな声が響いた。しかしその声は戦闘初期にくらべればまるで別人のように落ち着いたしかし、注意を喚起するに十分な力強い叫びであった。
「お、来たな。全艦対空戦闘用意!」
 渡邉副長はさも楽しげに指示すると、伝令がたちまち復唱を掛けて全艦にスピーカーでそれが伝えられる。流れるようなその伝令の速さは、二回の戦闘の後、十分な自信が付いてきたことを感じさせた。
『艦橋!追加報告です!電探に別の敵編隊確認!距離一七〇 方位〇一八』
「ほほぅ、今度は北へ回り込んだか。砲術長どうする。」
 渡邉が感心したように窓越しに左舷後方を見やって、腕を組んだ。
「敵機の数と機種編成によるが。」
 川村はちょっとだけうつむいて何か考えを含んだ様子だが、すぐに眉を上げてやぶにらみに何かを凝視するように独り言のように答えた。
「南からの編隊をまず叩いて、次に北からのを迎撃しよう。副砲高角砲はもちろんすぐ撃てるように準備だな。」
 そう言うと川村は、艦長の方を見た。静かに前方を見つめて煙草を飲んでいた森下は諒と軽くうなずいたが、頷いた顎を下げたまま視線を下に落として、
「北からかぁ。」
 小さくぼそとそう呟くと、くるっと振り返って、脇田航海長を見た。
「後方に控える氷川丸の位置を知らせ。」
 脇田は即答した。
「距離三五〇 方位〇一五 奄美大島正西十四浬です。」 
「大きな餌が目の前を歩いているのに、国際法を無視して単独行の病院船をわざわざ攻撃するような莫迦な真似は、連合軍もやらないだろうが。杞憂か。」
 森下はそうひとりごちて、煙草をゆっくり一飲みするとぷわりと煙を吐いた。とはいえ、連合軍は既に海陸軍合わせて一七隻の病院船を血祭りにしているし、つい数日前の四月一日には捕虜救援物資輸送船「阿波丸」が軍属など二千人以上の女子を含む犠牲者を出して撃沈されている。当の「氷川丸」は二月二十八日には南シナ海で門司からシンガポールへ向かう「阿波丸」に出会っている。両船の出会いはその夜のことで、共に赤十字あるいは白十字も鮮やかにイルミネーションを点けて舷窓や船橋からは煌々と明かりが漏れて、灯火管制で一般船がまっくらで運航されている今時に珍しい美しい風景であったと言われている。
再び視線を前方に戻して、ちょっと考え込んだ後、森下は川村に向かって言った。
「砲術長、迎撃方法は任せる。電探室及び各見張員は、南からの編隊をA群、北からの編隊をB群として随時報告せよ。」
 天候は再び悪化してきていた。ごくたまに気まぐれな陽光が雲間に薄くその光を漏らしていたが、南下するにつれて低気圧の南下側に向かっている。幸か不幸か、これは敵味方共に戦闘には非常に不具合になりつつある。
「ありゃ、雨です!」
左舷見張所で福井少尉が空を見上げてぼやいた。ぽつりぽつりと割と大きな雨粒が目にも見えるように落ちてきて、福井の白い頬を濡らした。
福井は遠く右舷後方の「大和」のシルエットを見やると、うねりの山の中に幻のように微動だにせずまるで時間が止まったように見えた。速力が同じで同行しているとそんなふうに錯覚を起こさせるものだった。我が巡洋艦「伊吹」もそうだが、芥子粒のように見えるあの大戦艦の内部には信じられないことだが四千人弱の人間が詰め込まれていることを想うと、広い海のその大きさの中で自分たちが如何にちっぽけな存在なのかを如実に感じさせられて、少し自信が無くなってしまうような気がした。
「福井少尉。どうした?」
「副長、なんでもありませんっ。「大和」距離032 方位341」
胸を張って福井は元気よく報告する。
「そういや、貴様、藤原准尉に昨夜何か渡していたろう?ん?」
おいおい、この戦闘配置のさなかに副長は何を言いだすんだ。
「副長、その、自分は何もおかしなことは。ただ、えと、あの、」
「おっ、貴様、おれの目が節穴だと想っているのか?」
そう言うと渡邉は、じっくりと福井の面長で整った顔をじっと見つめて、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「藤原准尉の顔、吃驚していたぞ。それで大体察しがつくってモンだ。ははは。」
ばれてしまったか、確かに福井は夕べ出撃の酒盛りが開いている士官室からそっと抜け出して、右舷の高角砲甲板で一人佇んで海蛍に光る夜の海原をうっとりと眺めていた伊吹に思い切って恋文を渡した。恋文とは言っても、内容は『この航海が終わったら是非故郷の京都の実家へ招待したい』という向きのことだけで、自分の本心は特に書いては居なかった。センチメンタルに命をかけて戦に赴くことへ引っかけて、想いだけを伝えるなんてのは福井には恥ずかしくてできることではなかった。
「貴様もなかなかお目が高いな。彼女は良いKAになるぞ。まー、がんばれ!」
「副長っ!よ、よして下さい!」
 福井は頭から湯気でも出さんばかりに顔を真っ赤にして、慌てて双眼鏡を掲げて覗いた。
「栄えある帝國海軍士官福井少尉!しっかり働いて、かならずや、かの深窓の令嬢をあの金庫みたいな部屋から救い出して上げてくれ給え。」
「おいおい、副長。実務に差し支えない程度にからかってくれ。」
渡邉のすぐ後ろで聞き耳を立てていたらしい脇田航海長が横やりを入れてきた。いや、そういう問題じゃないだろうと福井はむっとしたが、双眼鏡ははずせなかった。脇田の顔を見えなかったけど、恐らく笑っているに違いない。
『電探室より 南からの敵編隊が若干南へ迂回しながら近づきます。現在方位二四十 距離一二八』
「そろそろだな。全艦、第一砲撃態勢準備。」
森下がおもむろに命令した。渡邉が艦橋内に戻ると砲術長は既に艦橋トップの射撃指揮所へ上がっていて居なかった。
『敵編隊 数判明 A群百八十以上 方位二三二 距離六七 B群二百二十以上 方位〇〇三 距離六六』 
「こりゃ、すごいな!敵も勝負賭けてきたぞ!」
渡邉は驚きの声を上げた。最初の推定では一,二波で敵航空戦力は半減したはずだ。もしその推測が当たっているなら、敵はほぼ全力を挙げて襲ってきていることになる。しかも、北からのB群は迂回するために相当燃料消費しているはずで帰還出来ないリスクを大きく背負っている計算になる。アヴェンジャーもドーントレスも航続距離は千六百キロ程度であり、交戦時間も含めると往復七百キロ程度しか行動範囲が取れない。敵空母群の位置関係からしても、背水の陣であることは明白で、間違いなく前後左右から一度に襲いかかる腹だ。そして我々の主砲のウィークポイントである砲撃時間の遅さとその射撃の特性を研究しているのも歴然としている行動である。恐らく、この戦闘は死生を分けるものとなるだろう。
「対空戦闘用意!右砲戦。」
 次々に一連の指示が飛んで行く。艦橋窓は既に防護板が降ろされて、艦橋内は赤色灯が灯っている。その不気味な薄暗さが緊張感をそそる。
 トップの測的所で川村はまたいつものように弾道管制所へ電話していた。
「今井大尉、弾道管制室準備良いか?」
『どうぞ!』

###準備完了です###

今井の淀みない返事の次に精神遠隔感応で伊吹は答え、それを直接森下にも語りかけた。
それを感じると森下は小さくうなずき、そして口の煙草を加え直した。
「主砲、準備でき次第射撃開始。」
『よーそろー。準備でき次第、射撃開始します。』
伊吹の六七サンチ重高角砲はするすると向きを変え、はるか彼方の空へ向けて右舷前方を砲身を指した。
電探室から刻々と伝えられる諸元、そして射撃盤でその分析結果を伝える思念波増幅装置。伊吹もその敵のデータに強い緊張感を感じた。更には一層荒れてきた海のうねりにさすがの伊吹も以前ほど安定した様子ではなく、あきらかにそのうねりに揉まれつつあった。波は心地よいものには感じられず、突き上げるような衝撃が時折伊吹に軽い打撃感を味あわせてくるようにもなった。
伊吹はじっと待った。そう、長くもない時間、射撃許可が出てわずか十数秒ほどであろう。砲撃サインが網膜に現れ、ついで三角図形が綺麗に重なった。とたん、巨大な砲炎を噴き上げて主砲が発砲した。
第三波との激しい戦闘の開幕であった。