〜彼方からの閃光〜#18

16時53分
「第二艦隊旗艦<大和>より入電!暗号文です。」
「読め。」
艦長席に腰を落ち着けていた森下は手元の防空指揮所への大きな伝声管をくるりと通信兵の方へ向けた。こうすれば先ほど再び防空指揮所へ上がっていった渡邉にも伝わる。
「”作戦通リ第二艦隊ハ東経百二十八度三十分北緯二十七度ニテ艦隊針路二00ヲトル 速力二十四ノット 駆逐隊雷撃実施 ミヤゲノカエシ要ナシ 伊藤”以上」
神妙に報告を聴いていたが、文末で森下は制帽の鍔の影から目を輝かした。それからおもむろに左脇の下を手の甲でちょっとさすると、するりと椅子から降り、軽くびっこを引きながら海図台へ足を運んだ。
「航海長、どうだ?」
「硫黄鳥島を挟んで上手くかわしましたね。ただ罠を閉じるのにはちょっと遅い気がしましたが‥、とりあえず形にはなっているようです。敵艦隊は第二艦隊が退避したように感じたでしょう。それはそうと‥‥」
脇田は眉をひそめて小声で尋ねた。
「艦長、その‥お加減大丈夫ですか?」
「ん?‥ああ、もちろん大丈夫さ。」
海図台に目を落としたまま、平静に短く森下は返した。脇田もそれ以上に尋ねることもなく、同様に海図台から目を離さず無言で海図台の各艦のマーカー駒を動かした。雷撃を仕掛けたとなると第二艦隊の駆逐艦隊は恐らく二分されているのだろう。それについては電文に直接表現されていなかったが、間違いなく第十駆逐隊はこちらに戻ってくるようにし向けられている内容を含んでいる。
そこへ艦長休憩室に臨時設置された応急の電探室から今井が駆け寄ってきて報告してきた。
「艦長、逆探が機能始めました。早速ですが、敵電探の送信レーダー波を感。方位272距離36000誤差プラマイ1000。」
更に間を置かず伝令所から慶賀野が駆け寄って来ると今井の報告を裏打ちした。
「<鞍馬>より入電。”敵艦隊ガ変針南下ス 大型艦六隻、中型艦九隻、小型艦十三ヨリ多イ 方位272距離35800”以上。」
「逆探が使えるようになったのは朗報だな。ちょっとは目の前が明るくなったと言うわけだ!この際、蝋燭の灯火でもありがたいな、え?」
ポンと今井の背を叩いて森下は陽気に言った。
「方位測定のために人間が電探台を回さなければなりませんが、無いよりマシです。」
それでも今井は申し訳なさそうに返し、次いで海図台を見てつぶやいた。
「そろそろ来ますね。十四吋砲なら32000、十六吋なら40000。その既に射程距離に入っているわけですから。」
「向こうは動揺しているだろう。巨大戦艦が二隻こちらから立ち向かってきて居るんだから。」
と森下が言うが早いか、何か遠くくぐもってはいるが、腹をえぐるような爆発音が聞こえてきた。
「て、敵弾、弾着!左舷よりの正面前方五00 数十二」
若い見張員が絶叫する。直ぐに各所で落ち着いてはいるが緊張感溢れる声の復唱が聞こえた。
その場の兵員誰もがそろそろ変針すべきと感じていたろうが、幹部達は微動だにしなかった。森下はタバコをくゆらせて足早にいつものように艦長席の小さな椅子(サルノコシカケとあだ名されていた)に戻ってそれへ座りなおし、窓枠に左手を添えて前方を静かに凝視した。副長渡邉は露天の防空指揮所に仁王立ちになって冷たい潮風をものともせず対空監視・雷撃監視に余念無かった。彼は手持ちの双眼鏡を上げたり下げたりして、着弾した水柱さえ無視している様子だ。本艦のみならず艦隊航海長としての脇田は電話を片手に海図台にかじりつき、その右手は海図の上に赤鉛筆を添えていた。その直ぐ横で慶賀野が数人の見張兵や通信兵を使って<鞍馬>との位置関係を、そして福井が今更ながらの天測で自艦位置を掌握し、脇田へ逐一報告していた。自艦位置を敵艦隊及び自艦隊全体をリアルタイムで知るには電探が最も有効なのは言うこともないが、彼らは事実を確認するのには今や自分の目と感だけがたよりであり、予想については脇田が割り出す航路分析だけが頼りであった。時間があれば<鞍馬>へ移乗し指揮を執ることがもっとも有効であったし実際検討されたが、戦闘中しかも急速な陽動作戦を展開するにそのような余裕は全くないに等しい。
 今、第八護衛戦隊は<鞍馬>を先頭として後ろに<伊吹>が梯陣を組み、それを自由行動を許された随伴防空駆逐艦<新月><満月>が左右を警戒しつつ高速で走り回っている。彼らの燃料はそろそろ半分を超えて消費されていたから、大分吃水が上がって艦首が上がり艦尾が下がる後トリムになり、やや復元不安定かつ波に乗り上げやすい状態になっていた。その上、最前ほどではないにせよ未だに五メートル近い波高を持つ青波に輪をかけて大型対空軽巡二隻が作る複雑なうねりが彼女たちの行動を妨げることを嫌い、森下は対潜哨戒を目的に絞って彼らを野に放つことにした。彼らは無傷であり、全く元気が枯れる様子はなかった。むしろ相変わらず双方気ままに付いたり離れたり航海を楽しんでいる様子でもある。行き足が二〇ノットほどに落ちてしまった<伊吹>の乗員はそんな彼らを羨ましく思った。
17時02分
<伊吹>の羅針艦橋の面々は、最初の巨大な水柱数本がほんの前方で立ち上がるのを見た。艦内にいる者は爆発音が水中を通して<伊吹>の腹を叩き怪物の咆哮を上げるのを聴いて、敵弾が近くに来たことを知った。
「<鞍馬>艦尾距離千二百五十。」
「敵弾第二斉射来ました!ダンチャーク!正面左右前方200 数24」
左舷見張所から次々と声が上がる。
「倍増しになりましたね。」
「今のは十四吋砲だ。水柱の高さからして最初のものは16吋だろう。奴らは主砲の口径が混成している部隊だな。」
すると直ぐに水柱が立った。今度は前方の<鞍馬>と<伊吹>のほぼ中間にずらりと着弾し、針路方向でほぼ挟差弾となった。
「かなり早いな、射撃間隔は三十三秒、修正もかなり正確だ。敵さん、さすが、やりますね。
森下司令、どうでしょう。もう完全に相手の射程内ですが。」
ちょっと軽くうわずって森下の背後で制帽のつばの下で汗を拭いながら小柄な体躯の柳田参謀長がやや強い調子で言った。快活な森下のよい相談相手の一人でいつもは必要以上にものを言わないでひっそりと見守っているタイプだが、さすがに意見具申をするべきと考えたのであろう。ちらりと森下が目をやると柳田の拳は少し強く握り締められて、緊張している様子だった。
「第三斉射ぁ!ダンチャーク!挟差されましたっ!」
しかし森下は無言で再び艦首針路方向を見つめた。ややおいて、上体を左に回してちらりと海図台の脇田へ顔を向けた。脇田は何も言わずに海図台に定規を当てている。そこへ慶賀野が駆けてきて耳元でなにやらつぶやいたとたん、何か得心したようにガサガサと音を立てて赤鉛筆を走らせた。それを終えるとくっと顔を上げてじっと見つめていた森下の顔を見た。
「艦長、時が来ました。艦隊針路005変針です。」
「よし!<鞍馬>及び随伴駆逐艦へ通達せよ!変針後、<鞍馬>と本艦は単縦陣とし最大戦速、離脱だ。」
そう下知すると森下は直ちに操舵室への伝声管を開いた。
「操舵長!面舵いっぱい!」
『おもーかじっ、いっぱーい!よーそろー』
操舵長の元気な声が伝声管をふるわせて帰って聞こえてきた。森下は直ぐに次の号令をかけた。
「機関!左舷いっぱい緊急!」
慶賀野がテレグラフのレバーをぐいっと押して回し、すぐに艦内電話を取ってそれを大声で復唱し伝える。
「機関!左舷いっぱい緊急!よーそろっ!」
と言い終わるか終わらないとたん、鼓膜を切りつけるような金属音が耳一気呵成に聞こえた。それはずぼりというあまり聴いたこともない低い音を立てて艦橋を挟んで両舷から響き渡り、次いで目の前に巨大な水柱が、いや巨大な水の壁となって<伊吹>の行く手を阻み、即座に恐ろしい滝の奔流となって羅針艦橋の窓ガラスを打ち破って室内を大洪水にし、その奔流はその場にいた全員を強烈なパンチのように吹っ飛ばした。
直ぐに水が引いたが、右舷見張所に立っていて、水柱を最初に見た福井がずぶぬれになりながら顔だけ起きあがると艦橋の誰もが背後の支塔に叩きつけられて、苦痛を訴え呻き、頭を振りながら起きようとしているところだった。福井はブルワークにずってよろけるように体を預けて、強打して痺れている全身をなんとか持ち上げていったが、足がふらふらとして歩けそうもなかった。
「艦長!」「森下艦長!!」
右舷側で見張を続けていた弓山中尉とその横の見張員が同時、すばやく立上がってテレグラフのあたりで伸びて倒れている森下に駆け寄った。屈んで様子をうかがった弓山が顔を上げて悲痛な声をあげた。
「航海長!艦長がっ!」
ようやく脇田が起きあがって、テレグラフにふらふらと駆け寄った時、再び左舷に砲弾の風切り音が響き、水柱が立ったが、幸いこれは数十メートル向こうに落ちてくれた。
今井が左舷の見張所に出て、再度<鞍馬>との位置を確認した。<鞍馬>は既に面へ転蛇して横を向いている。<伊吹>はやや遅れている。衝突。今井の脳裏に嫌な文字が浮かんだ。しかし、そう思ったとたん、重い舳先が回り出し、<鞍馬>の緩やかに描く航跡を<伊吹>が辿り始めた。ほっとして今井は念のため直ぐ横の監視用12cm対空双眼鏡を水平に向けて左舷水平線をざっと見てみたが、薄暮は急速に進んで暮れなずむ洋上には遥か彼方の敵艦艇を視認することは出来なかった。と、またもや左舷50mほどで水柱が続々と立上がり、それが<伊吹>の艦体に風呂桶をひっくり返すように降り注いだ。敵の電探射撃をまともに食らっているのは間違いがなかった。舵の効きが今少し遅かったらと今の二十発以上の砲弾は<伊吹>を見事に切り裂いたであろう。と、見る間に<鞍馬>が突然爆発したように閃光がきらめいて猛烈な爆発音と煙が、かの全艦を巻き込んだ。こちらの指示を待たず応戦を開始したのだ。
『艦長!砲撃許可を!艦長!砲撃許可を!艦長!艦長!砲撃許可を!砲撃許可を!』
ふと我に返ると背後でラジオの声のようなものが叫んでいる。第二砲塔の臨時射撃指揮所から那須高射長がの艦内電話用高声器を通して吠えまくっているのだった。
だらりとぶら下がった艦内電話の受話器に慶賀野が取りすがって、息を切らしながら怒鳴った。。
「艦長がやられました!副長に交換します!」
交換機のピンをつなぎ返して慶賀野は受話器を置こうとすると、なぜか受話器台にそれを納めるのが難儀なのに気が付いた。彼は自分の左目がずきりと痛んで来るのが、そしてふとその左目に手をやるとべちょりと赤いものがこびりついた。片目でものを見ているのだった。しかし、それを気にするまもなく、またもや弾着、水柱が左舷の洋上に立ち上がった。
直ぐに伝声管から防空指揮所の渡邉の怒鳴り声が響いた。幸い電探が生きている<鞍馬>から電話で得た射撃要素は那須高射長の居る第二砲塔で自艦の砲撃用に変換されてすでに準備されていた。
『主砲射撃用意!防護板上げろ!』
渡邉が高声器で怒鳴った。既にそれと知った福井達が四散したガラスを踏みつけて、ばたんばたんと窓枠の防護板が持ち上げつつあった。室内は急激に暗くなった。しかし、各所の赤色灯が半分以上ダメージを受けたらしく、室内は十分な明るさとは言えなかった。
『副長!準備よし!』
『砲撃開始!』
渡邉は再び吠えるように高声器で号令した。
もう、容赦なく間断無く立上がる水柱の壁を突き破らんかとするように<伊吹>もまたなんとか射撃を開始した。強烈な衝撃がはしり、再び<伊吹>の艦体は武者震いをした。
『秋山さん、舵中央!機関長!機関両舷いっぱい過負荷全速だっ全速!っ!』
更に渡邉が艦内電話に叫ぶ。艦橋直下の吸気口からブロワーが今までになく強烈な音をさせているような気がした。
 見張員たちは防護板のスリット越しに一分ほどかけて滑空する四つの三式弾が、残照の水平線上へ微かに消えてゆくのを見送った。
「あっ、なるほど。」
その時初めて今井は気が付いた。砲弾は通常なら空中で爆発するはずだが、遠く二万六千メートルを飛んだそれは視認できるほどの巨大な水柱を立てて爆発したのだ。艦長が先ほど高射長と何か相談していたのは、信管動作を対艦用の砲弾らしく見せるため、弾着し水中で爆発するように時間調整をすることだったのだろう。
こうして<伊吹><鞍馬>は敵弾の舞い落ちてくる左舷前方に向けて斉射は五回行った。射撃要素は相変わらず<鞍馬>からの報告に頼ったが、自艦の砲撃修正は<伊吹>側で行った。前方を走る<鞍馬>と本艦の相互距離は約1000mほどあるから、射撃修正は<鞍馬>に頼るわけにはいかなかった。
回頭後当て舵をするころにはどんどん増速できて速力が思いのほか上がっていった。敵弾の水柱はだんだん遠くなっていった。誰も彼も安堵の息を漏らした。
「艦長!」
防空指揮所から渡邉が降りてきて駆けつけて来た時、森下は意識が無く見張員に抱えられて呼びかけにも応えることが無かった。渡邉は、見張員から彼の体を預かると上体を起こし、森下へ再び呼びかけようとしたが、ふと森下の後頭部に掛けていた自分の右手がべっとりと嫌なもので濡れたように感じたので、それを恐る恐る見ると、やはり自分のものではない血糊だった。
「おい!軍医を呼べ!」
「もう連絡は取っています!今少しで、ここへいらっしゃいます。」
「くそっ、なんてことだっ!この大事なときにっ!」
渡邉は吐き捨てるように言った。森下の体は相変わらずぐったりとし、その静かな重さがずっしりと渡邉の腕を限りなく重いものに感じられる。
「すまん、副長。俺が判断を待ちすぎた。」
かがんで艦長をのぞき込んで脇田が悄然と言ったのを受けて渡邉は鬼のように怒った。
「このくそ馬鹿野郎!!そんなこと考えていねーで次の準備をしろっ!艦長は俺に任せてまず次の手を。」
うなだれたまま脇田は立ち上がり、一言「了解した。」と言って、伝令所へ歩いていった。
「副長!来ました。」
兵が叫ぶ方を見るとようやく、誰もがその顔を見れば安堵の息を漏らすであろう存在の新実が現れた。
「軍医長!お願いします!」
新実は森下の姿を一瞥し、まず付いてきた看護兵から医療鞄を受け取るとさっと開いて聴診器を取り上げた。そして腕の脈を取ると、看護兵に森下の上体の服を脱がせさせた。森下の左脇腹は青く変色している。新実は簡単に胸を聴診するとその青く変色した辺りを触診した。
「いかんな。肋骨を折ったところを再度酷く撲っている。おい、後頭部を止血しろ。終わったら艦長を下へ降ろそう。」
「軍医長。」
「大丈夫だよ、副長。ここでは満足に手当てできない。治療所へ連れて行くよ。至急、手術だ。全く同じところを再び強打するとは‥肋骨は完全に折れているし、この内出血は酷そうだ。後頭部も十針は縫わないとならんね。致命傷ではないのがせめてもの救いだが、なにせ頭を打って昏睡状態になっている。今は今後どうなるのか説明できんね。」
新実は厳しい顔をし、すくと立上がって包帯で頭を巻いた森下を看護兵に担架で運ぶように指示し、自ら先頭に立って再び床ハッチに降りて行った。
渡邉は制帽を脱いでく汗でしゃくしゃの頭を掻き上げ、再びぐっとそれを被りなおした。そして、への字に口を曲げたまま、かつかつと前方窓枠中央の従羅針儀に両腕を立てて、正面に白い航跡を延ばし広げる僚艦<鞍馬>の姿をじっと見つめた。
「副長。」
「ああ、航海長、<氷川丸>との交差位置を割り出して艦隊針路を」
「もう出している。東経128北緯28まで急いで北上し硫黄鳥島沖西北で方位135回頭 二十二ノットでそのまま直進すれば三十五分ほどで会合する。」
「至急、僚艦各艦へ指示してくれ。」
「了解、各艦へ指示します。」
脇田はくっと軽く敬礼をして渡邉の目をじっと見つめた。その眼差しに応えつつ渡邉も力強く敬礼を返した。入れ替わって今井が近づいた。
「副長、逆探の成果ですが、敵艦隊は方位330距離45000で遠ざかりつつあります。主力艦の砲撃はもう無いと想います。」
「通信長代理はどう思う。」
「<鞍馬>からの電探結果がまだ来ないのです。砲戦中になにかトラブルを抱えたのかも知れませんが、とりあえず考えられるのは敵艦隊は第二艦隊を追うことを選んだということでしょう。」
「そうか‥それにしてもあのまま砲撃を受け続けていたら確実に命中弾が出たなぁ。」
渡邉はしかめつらでつぶやいた。
「副長!失礼します。沖縄本島の第三十二軍司令部の電信を受信しました。」
話を続けようとする二人の間に割って、副長付士官の大川が報告してきた。
「なに!?読め。」
「はい、”栄エアル帝国海軍ノ来訪ヲ深ク謝ス ナオ明未明四月八日我等総攻撃ヲ企図ス マタ四時ヲ持ッテ陸海軍特攻機百出撃予定 コレニ呼応シ残波岬沖ニテ敵上陸部隊ニ打撃アタエルコトヲ希望ス 第三十二軍総司令”以上 」
聞き終えると深いため息をついて渡邉は艦橋正面の従羅針儀に手を掛けて<伊吹>の舳先を眺めた。再び背後から柳田参謀長が意見を述べた。
「副長、森下艦長の受けた過去の電令作を見ておいた方がよろしいのではないか。」
「う〜ん、参謀長もそう思われますか。」
ややしばらく考え込むと渡邉は「今少し様子を見てから、最悪そうすることにします。」と言った。柳田は小さくうなずいてそれ以上何も言わなかった。渡邉はそれから横に向き直ると今井に再び話を続けた。
「それよりか、敵の動向だな。まだ<鞍馬>から連絡はないのか。」
「まだですね。あと動向についての憶測ですが、敵艦隊は恐らく<大和>からの砲撃と駆逐隊の水雷攻撃も受けたのではないかと想います。我々を迎え撃とうと恐らくこちら同様にT字に展開しようとしたが、不意打ちでそれを妨げられたのではないかと。」
「ということは、陽動は成功しなかったのか、高速艦艇も追跡してこないな。」
「あの砲撃を受けたら、小艦艇で追撃をするのは慎重になるでしょう。ここは普通に考えるとやはり、追跡は戦艦を主として行っていると思います。」
「潜水艦だな。待ち受けているということか。」
「制空権があって、しかも航空機による爆、雷撃の影響も無い、しかも薄暮の今が一番の獲物を得るタイミングと相手も考えているかと想います。」
そこへ操舵室直下の防御指揮所から上がってきた角谷運用長が息を切らして現れた。至近弾の艦橋への影響を自ら見に来たようだ。
「はぁはぁ‥至近弾で各所の被害が上がってきているけど。あ、艦長は?」
「負傷された。中甲板へ降ろされている。当座、自分が艦を預かる。現状報告せよ。」
「左舷高角砲3,4,5番で砲塔外板変形砲撃不可、3番高射装置及び左舷探照灯全損。煙突から大量の浸水で7,8番缶煙路で排煙障害側面に風穴を開けて現在対処中。その他は損傷軽重なれど数多く。内部損害無し。」
「ご苦労様。引き続き応急処置を願います。」
あまり口数を開くことなく用件だけを言って角谷はさっと敬礼し再び下へ駆け降りていった。
「副長、電信です。第十駆逐隊佐藤司令です。」
「おお、戻ってきたか!読め!」
「”我伊藤長官ノ指示ニヨリ 第八護衛戦隊へモドルモノナリ 今宵ノディナーニ鉄ノ魚ハイカガ”以上」
続いて第十駆逐隊の現状位置と艦隊の状態報告が続いた。一通り聴くと渡邉はこう電信させた。
「返信せよ。”オカエリ 直チニ第三警戒序列 サカナヨリクジラヲヨコセ”