〜彼方からの閃光〜#23

 おもむろに各艦が転舵し、艦隊が順次隊列を整えるか整えないうちに右舷艦尾方向から遠雷のような光が煌めいた。
「砲火発見!方位260敵艦隊です!」
 右舷見張員が叫んだ。渡邉は足早に右舷見張所へ急ぎその方向へ双眼鏡を向けた。間違いなく敵は電探射撃だろう。しかし、視認できる距離で砲火を開いた。油断なのか、焦りなのか。余裕の威嚇かも知れない。
「右舷副砲一六.一八番、照明弾一〇発 目標敵艦隊上空2000 撃て!」
 既に照明弾を砲架に備えていた右舷後部の2砲塔が次々と火を噴いた。やがて夜空の高みでそれは炸裂し裸電球のようなまばゆい輝きを放っち、極めてゆっくり落ちる大火球となって、闇の海上を白く照らし出し、暗い波にたゆたう敵はおろか味方艦隊の姿も白く浮かび上げだした。と見ている間に、再び鋭いオレンジ色の光が煌めき、視線はその輝く水平線へと注目を移した。
「五時の方向、敵艦とおぼしき砲火三つ!」
 見張員は更に叫んだ。と見る間に艦隊の後方に占位する駆逐艦<椛>の後方で照明弾に照らされて白く輝く何本かの水柱が立つのがわかった。
「焦るな。距離は?逆探?!」
 渡邉は落ち着き払って言った。
「逆探距離測定 18000ほどです!」
「敵艦発砲しました。大型艦です。」「数5から8、いや10です。」
 見張員達は再び砲火が煌めくのを矢継ぎ早に叫んだ。次第にその数が増えてくる水平線上の砲火は間隔まで短くなってきている。見張所に立つ渡邉のもとに伝令が駆け寄ってきた。
 たちまち<椛>の右舷に水柱が無数に立った。それからは連続して水柱が次々と彼女を襲った。
「<椛>夾叉されましたっ!嗚呼、なにをもたついて居るんだ!」
 福井が双眼鏡のアイピースから目を離さずに叫んだ。
 いや、彼女は持ったいぶっているわけではなかったのだ。
 機関を過負荷にしたのだろう、二本の煙突から重油専焼タービン艦(燃料を重油とする蒸気タービン機関は煙の濃度が薄い)らしかならぬ黒煙を噴き上げて<椛>は更に増速し、次々と飛来する砲撃から回避するかのように右に転舵した。そして、そのまま彼女はくるりと回れ右を見たまま自分が残した航跡を辿るように回頭してしまい、思い切り右に体を傾けながら再び艦速を上げて敵艦隊を横目に反抗するように進んでいった。回頭完了定針すると前後甲板の12.7cm高角砲三門がそれでも激しく射撃を始める。
「馬鹿野郎!たった一杯の駆逐艦で何が出来るというのだ!電信しろ!”<椛>戻れ 緊急”以上返事するまで打ち続けろ。発光信号も使え! ああ、馬鹿者馬鹿者!」
 その姿が意味するところを見てとると渡邉は艦橋内部に振り返りざま大声で怒鳴ちらした。
 件の<椛>は、横腹を見せるようにまるで敵艦隊に雷撃をしかけんとする体制を取ったかと想うと、しばらく航走してからまた舳先を回して砲撃に挑もうかととして、暗い闇にも鮮やかなほど白波を蹴立てて驀進してゆく。しかし先の戦闘でなけなしの魚雷は四本とも使われしまっているはずだった。予備を持たない彼女の四連装魚雷発射管は今やただのどんがらなのだ。<満月>の最後を思い出し、渡邉はやるせない想いがこみ上げた。艦橋見張所の一段下がった信号所で30cm信号灯に取り付いた信号員が腕も折れよとばかりにガチャガチャと操作レバーを押し引きして”戻れ”の信号文を何度も何度も繰り返し打ち続ける。
 しかし、巨大な水柱がそのうちの<椛>の艦尾を一挙に取り囲んでしまった。 見張に出ていた者全員が壮絶な<椛>の反撃に手を汗にして見守るしかなかった。
 水柱が落ち切らないうちに前後で無数の強烈な火柱が上がった。見事に一点に集中したその打撃は、たちまち<椛>は猛烈に爆発炎上し艦中央をへし折り、それはまっぷたつになったかと想うと何のためらいもなく瞬時に海中へと沈み込みながら爆発を繰り返し海中に没するまでには粉々に吹き飛んでいった。ブリキ缶と後ろ指を指されるほど薄弱な駆逐艦の鋼板を敵の徹甲弾が打ち破り、前後の弾薬庫が誘爆を起こしたのだった。
「嗚呼!」
「なんという!」
「<椛>!!」
 あっという間の沈没で<椛>はもう洋上に姿形を留めていなかった。ひたすら暗い波間に<氷川丸>からの灯火がいくらかの漂う残骸を照らしたが救助できる者は一人として皆無だった。
 あまりのその行動は、<満月>の自己犠牲を思い出させ、それを目撃した誰もが沈黙し言葉も無かった。しかし、すぐ伝令の叫びで、そんな気分は打ち破られた。
「副長!駆逐艦<柳>からですっ!”潜水艦スクリュー音12を確認 方位270 距離6500”」
 敵潜出現の報に艦橋の面々に強い緊張感が走った。
「なにっ!?敵潜か?!」 
 脇田が鋭くつぶやいた。脇田に目配せされるより速く慶賀野が顔色を変えて海図に向き直り、その位置を計算し書込む。
「本艦からだと方位278 距離7200だ。」
 脇田が艦橋内に入ってきた渡邉をちらりと見た。
 <椛>の最後をいつまでも愕然として見ている暇は無かった。続けざま敵の砲弾は今度は伊吹に向かってきている。その水柱は、まだ遠いものの、伊吹の航跡の上を確実に辿ってくる。見ると<氷川丸>の艦尾にも着弾するようになってきた。<氷川丸>はひたすら前進して逃げようとしているように見えた。
「返信せよ。”追うな ただし見逃すな”以上。」
 渡邉は敵潜水艦の位置を思いめぐらした。通常、水中探信儀で測定可能な距離は一万メートルだが、戦闘開始後の騒ぎの中で発見できたというのは吉報の他無かった。これが誤報でないのなら、<柳>の水測兵は常人とは思えない聴力を発揮している。あの佐藤艦長が虚実を見抜いて無電を打ってきたことは決して無視できないことと考えられる。
「<新月>より入電!”敵航空機一群を確認。方位180 距離100海里急速接近中!」
「ほほう、いよいよ奴らも総がかりだな!獅子は獲物を追うに全力を尽くす、か!艦隊各艦に通達、”対空射撃準備せよ”」
 ついで渡邉は号令する。
「左舷後部16.18番副砲は照明弾継続せよ!後部主砲は対艦砲撃だ。前部主砲及びその他の部所は対空戦闘準備だ。」
 渡邉の目はぎらついて、その目は飢えた狼のように見えた。
「後部主砲三,四番 砲戦用意! 目標 五時方向の敵艦隊砲火 先頭艦をねらえ。」
『主砲三,四番 射撃準備よし!よーそろー。』
那須高射長の元気な威勢の良い返答が帰ってくる。号令は射撃指揮系統にも即時に復唱されてゆく。と、そこに突然、脳内にいずこからか涼やかで優しい少女の声が響いた。
《 弾道管制準備よし!よーそろー!》
 一瞬、渡邉は胸の中がかき乱されるような不思議な間隔にとらわれ、目をしばたきながら思わず額に手を当てて自分の耳?を疑った。しかし直ぐそれと気が付いた。直接、思念波で語りかけてきた伊吹の《声》だったのだ。それは訓練で何回も味わっていたが、構えないところで久しぶりにその力に触れて彼は目眩を覚えた。これは何度経験しても驚きを感じる。しかしそんなことで驚いている閑はなかった。その間にも敵水上艦隊の砲声がだんだん激しくなってきている。渡邉は小さく「頼むぞ!」とつぶやいた。そして取り直し大声で号令した。
「後部主砲3,4番、打ち方始め!」
 間髪入れず艦尾で六七cm重高角砲二門が火を噴いた。強烈な衝撃と振動が全艦を襲う。艦複深く弾道管制所に居る伊吹も当然それを心と体で感じていた。
 伊吹は放たれた砲弾に思念波を乗せコントロールをはじめた。暗い闇の中、次々と輝く砲火を目指して砲弾は飛翔する。一分を待たずして、暗い海上に彼ら自身の砲火で浮かび上がっている敵艦の姿を発見する。三連装砲塔を前部三基後部二基持つ大型の新型重巡洋艦だ。伊吹は三式弾は彼らの上を通り過ぎてしまう弾道を描いているのに気づき、確実に丁度その頭上至近に来た時を狙って砲弾を次々起爆した。もちろん起爆と同時に彼女は思念波をすっと手元に手繰り寄せる。弾道のモニター結果は発令所射撃盤へ射撃要素として数値報告する。発令所員は内蔵された無数のセルシンモーターが回る射撃指揮盤を忙しくボタン操作して次弾の射撃要素に変換し射撃に備えた。そうこうする間に伊吹は次の砲弾へと意識を集中すると、初弾頭上で炸裂した三式弾の爆風と散弾が重巡の上部構造物を見事に徹底的に破壊していることを確認した。二斉射目は敵艦手前の至近弾となり伊吹は爆発効果の高い海面すれすれで起爆させた。それは散弾とスプリンターが敵重巡の外舷を徹底的に叩いて破壊した。三斉射目の砲弾に意識を乗せ再びねらいを定めると既に重巡は炎上しもはや砲撃は不可能だった。そして三斉射目は見事に重巡に直撃した。伊吹は撃沈確実と報告し、次の敵艦へと照準を変更するよう希望した。もちろん直ちに後続艦に照準を定め直す。それも重巡だった。二番艦は先鋒が浮かべる廃墟と化して洋上を漂い始めたので、左舷に転舵していた。三番艦以降もそれに続く。全部の隻数は10隻だった。続く斉射は当然2番艦を目標に定めた。斉射一回でたちまち敵艦は炎に包まれた。後続艦は更に西へと変針し、回避行動に移っている。
「<椛>の仇だ!ざまーみろっ!」
「我が六七サンチ砲の威力を思い知ったか!」
 鮮やかな戦果に若い見張員たちが狂気乱舞して遙か彼方で炎上する敵艦に向かって叫んで喜んでいる。
駆逐艦<柳>より電信!”潜水艦スクリュー音12 方位220 距離1万”」
 渡邉はここで一思案した。これで後方の水上艦艇と交戦するのにまだ十分に時間を稼げる。まだ敵潜が確認できている今は貴重な一瞬だ。射程もほど良い。渡邉は瞬時に判断し、先手を打つことことにした。
「前部主砲1,2番対潜弾用意! 対潜射撃準備!防護板上げろ!」
 そう号令されて、艦橋の誰も彼もが忙しく窓枠に取り付いた。そしてばたばたと防護板が上げられてゆく騒ぎの中、自ら艦内電話を取り弾道管制所を呼び出した。
「弾道管制所か!藤原准尉へ、後方水上艦と交互攻撃に対潜弾を打つがよろしいか?」
《 副長、聞こえます、 1番2番主砲の対潜射撃 了解しました。でも大丈夫です、タイムラグを上手く五秒程度作ってください。前後の敵を別個に同時攻撃できると想います。》
 後部砲塔はなおも砲声を轟かせている。伊吹は前後を全く別々にコントロール出来るというのだ。渡邉は舌を巻いた。そこまで彼女が出来るようになっているとは。
駆逐艦<柳>より電信!”敵潜望鏡発見!複数。方位271 距離五千五百二十プラスマイナス百”」
 同じ内容は発令所にも同時に伝わって、直ちに射撃指揮盤で計算された。砲塔が回転し極太の巨大な砲身が三〇度ほどに仰角を定めて右舷前方を睨む。
『射撃要素準備ヨシ!』
 緊急灯の赤い色が渡邉の顔を鬼のように浮かび上がらせた。鬼は怒りを押し殺した凄みある声で号令した。
「主砲一番、二番、撃て!!」
 猛烈な衝撃と爆裂音が艦橋を揺るがし、防護板をぎりぎりと言わせた。艦橋至近での砲撃だから後部主砲の射撃の比ではない。
 後部砲塔の射撃コントロールを一時的に解放しわずかな時間差を十分に利用して、一,二番主砲から放たれた対潜弾に伊吹は意識を集中し、真っ暗な空を飛ぶその弾道をコントロールした。今の彼女は独自時間の中で動いているので、彼女は落ち着いて焦らず一つ一つの作業をこなしている。もっとも緒戦での対空射撃三隻分の砲撃をコントロールすることに比べれば造作ないことだった。
 思念波に触れる敵潜水艦の頭上を念視した彼女は、彼らの頭上150メートルで最初の斉射弾を起爆させた。炸裂すると子弾・爆雷が五〇〇メートルの円形に広がって傘型に落下してゆく。同様に次々と二斉射目、三斉射目。(その間にも彼女は後部砲塔も攻撃をゆるめない)確実に彼女は起爆を掛け、次々と不発も無く五式対潜弾は小さな火の粉を上げて見事に小さく炸裂した。それから噴進剤を燃やして吹き飛ぶ超小型対潜爆雷が無数、雨あられと海上に降り注いだ。それと見ると急速に伊吹は意識を遠ざけた。戦果は水中探信儀で確認してもらうほうが合理的で思念波の開放は次の行動へ向けられる。
「副長、水測室からです。”対潜弾爆発音確認!”」
「各駆逐艦に通達!”スクリュー音を聞き逃す事なかれ”以上 それから本艦の水測室にも同様に伝えろ!中央三枚左右二枚防護板を下げろ。」 
 爆発音が静まるまで戦果は確認できない。その間、万が一攻撃が不首尾なら敵潜水艦は我々を出し抜いて雷撃を仕掛けるだろう。更に渡邉は潜水艦の後部発射管から魚雷が飛び出すことを想像して身震いした。
《 副長、高射長、大丈夫です。敵潜水艦は少なくても三隻二群、上手くその両方を捕捉、ベストタイミングで攻撃できました。高射長の腕は確かです。》
 下げられた右側防護板から顔を突き出して硝煙のにおいをかぎつつ様子をうかがい渡邉は密かに一人ほくそ笑んだ。高射長ではない、君がいるから上手くいくんだ、がしかし。
 渡邉は窓から身を引くと艦内電話で弾道管制室を呼んだ。相手の電話口は今井だった。。
「弾道管制室か。あ、今井大尉、藤原准尉に油断するなと伝えろ。」
『了解しました。注意しておきます。』
 今井の復唱を聞きながら電話をがちゃりと受け器に落とし込むより速く《 副長、分かりました。ありがとうございます!》と伊吹が返答してきた。渡邉は口に笑みを含んで小さくうなずいた。それから再び見張所に駆け出て双眼鏡で後方を見た。もう10発目の照明弾が中天高く輝いている。伊吹がまた囁いた。
《 後方敵艦隊 三番艦を撃破炎上中。続行する艦艇はこれを避けて航行中です。》
「逆探、敵先頭艦との方位、距離を報告せよ!」
 直ぐに測定結果が返ってくる。
「敵艦先頭艦 方位335距離25000。」
「照明弾発射ヤメ!」
 渡邉は敵艦隊は主砲射程外へ出て行くのを感じた。
「敵の索敵電波が出ている限り見逃すな!接近してきた場合、距離15000で反撃だ。見張怠るな!」
 そう言って前方に体を向けた時、渡邉は遠くに光り輝く爆発音を見てちょっと体を身震いさせた。<新月>が遥か前方の星空を狙って主砲を撃っている。もう来たのだ。敵は水上、水中、そして今また空からと三次元をフルに利用し波状攻撃を掛けてくる。敵機来襲の確信は次ぎに来た伝令によって保証された。
「<新月>より入電!”我 敵大型雷撃機と交戦中。繰り返す。敵大型機と交戦中。”」
「一番、二番主砲 前方へ対空射撃用意。」
 復唱が響く。主砲はほぼ艦首方向へ向き直された。
 <新月>の砲撃は既に熾烈を極めているが、電探で射撃しているのか全く敵の様子が分からないのが艦橋にいる者全員が不安に思った。
「<新月>もしくは他の随伴駆逐艦から艦隊前方の敵機射撃要素報告を求めろ!」
 渡邉はちょっと苛ついた。射撃したくてもどこへ撃てばよいのか分からないのでは手も足も出ない。航空機は遠いのか本艦からは全く相手が視認できなかった。そして先ほどの対潜砲撃による戦果報告も未だ無い。潜水艦はどこにいるのか?それとも撃沈したのか?背後では水上艦隊からの圧迫がじんわりと胸の中で冷たい緊張感となって満ちてくる。三つ巴で脅威は迫りくる。更に第二艦隊は今どうなっているのか?恐らく同様な自体に陥っているはずだ。そう思ったとき渡邉は<新月>が引きずっていたはずのパラヴェーンを想いだしどきりと胸が高鳴った。すぐに前方を見やりながら足早で艦内電話にかぶりついた。
「弾道管制室!海中の磁気機雷を警戒せよ!」
 あの高速では既にパラヴェーンは放棄しているに違いなかった。その言葉が終わるか終わらないうちだった、艦隊の右翼前方を守っていた駆逐艦の左舷前部で突如爆発が起こった。
「嗚呼っ、しまった!また同じ轍を踏んだ、馬鹿やろう!」
 最後の罵りは自分に向けたものだった。何のために掃海させていたのか。続けて<新月>の右舷中央にも強烈な爆発が吹き上げ、上構の一部が夜空の闇に白い輝きを放って飛び散った。続いて伊吹の左舷前方を航走し<新月>同様に激しく高角砲を撃っている駆逐艦<楡>でも、こちらから見て反対側右舷に爆発が起こった。間違いなく機雷だった。<楡>は爆発を受けたものの、直撃ではなかったらしく何事もなくまだ進んでいた。
《 副長、機雷の数が多すぎて排除が遅れてしまいました。申し訳ありません。》
 伊吹が悲しそうに言うのに渡邉は電話で答えた。
「気にするな!予期しにくい兵器なのは理解できる、もう位置の掌握できるか?」
今井が要約して復唱する。伊吹が答える。
《 はい、艦隊進行方向右前方に無数に敷設されています。》
 無数?連合軍の資力のすごさに渡邉は舌を巻いた。
《 もう大丈夫です!各艦が進むとき機雷が当たらないように周辺に浮かぶものは全て海底へ押し下げるように念動力で突っ張りました。あっ!》
 伊吹がふいに言葉を切った。
「どうしたっ!?」
ちょっと間をおいて再び彼女が言った。
《 副長、敵の攻撃機多数前方すぐそこに居ます。 》
「逆探に感っ!二時の方向 距離5000」
 伊吹がそう言ったと同時に背後から叫び声が上がった。
「くぅ、直前まで奴ら電探を使わずに来たな!」
見張員がいっせいに舳先右とその周囲を凝視した。ダメージを受け速力を失った<新月>が炎上しながら伊吹の右舷後方へと転舵するのが見えた。まだ、その先には何も見えない。
渡邉は防護板のスリットから見える<氷川丸>の明るい灯火を恨めしく想った。敵からはこちらの位置が丸見えなのだ。しかし、電令作にこの状況においてもその灯火を付けたまま航海することとしていた。それは忠実に守られて、まるで何者も<氷川丸>を襲うような事は無いという自信に満ちている彼女の堂々たる航進は作戦の一つに数えられているのだった。
「副長、敵は回り込んでいるんだ。機雷原に突っ込むか、沖縄本島に近づいて座礁するか、自らの損害は最小になるようにし向けている。」
 脇田が落ち着いて自分の分析を披露するのを渡邉はじっと聞いていたが、その言葉が終わると、ふと微笑んで返した。
「俺たちには准尉が、伊吹君が居る。」
《 はい!副長 》
 電話は取らないままの一言だったのに、今、伊吹がうなずいた。段々、彼女が目覚めてゆくのを渡邉は感じた。
 そんな中、<新月>が炎上しながら艦首を振り乱し、それでもやめない対空射撃の砲火で、渡邉の顔と艦橋の面々を真っ赤に照らし出した。渡邉は拳を力強く握りしめて顎の辺りに添えて語気も鋭く言った。
「させるかよ。」