〜彼方からの閃光〜#24

 渡邉はただちに第三戦速二十一ノットへ増速を命じた。
「右砲戦用意っ!先手必勝、出鼻をくじくぞ。」
 敵編隊は右舷斜め前方からまっすぐに進行してくる。既に全速状態で足の遅い<氷川丸>に航空機を避けられる可能性はほぼ無いに等しい。伊吹は面舵をとり<氷川丸>からやや距離をとって敵編隊との間に割り込む針路を選んだ。前部スタビライザーを破壊されているため大きく転舵して伊吹は大きく艦体を左に傾けながら横滑りし、それをややしばらく続けるとようやく波しぶきを打ち上げつつ艦首を右に回しはじめた。その間にも全四砲塔は右舷に向けてすぅっと旋回し、焼けて塗装も剥げ砲金の地肌が白く輝く口径67サンチの砲身をほぼ水平に綺麗に揃えて構える。先鋒航行する駆逐艦たちの対空射撃弾による曳光が、狙う獲物を時折その輝きの中で距離感もなく黒いシルエットを浮かび上がらせた。伊吹の六十七サンチ砲の砲側照準装置は測距儀に超広角形式を用いていて、明るい焦点距離を持つそれでは敵編隊をまとまりとして捉えていたものの、残念ながら暗闇の今の悪い条件では測距はできるものでは無かった。ようやく駆逐艦各艦からの電探報告が相次ぎ、伊吹の発令所でも射撃要素を得ることができた。直ちに射撃指揮盤で無数のセルシンモーターと歯車が唸り最適な射撃要素が計算される。ほんの数十秒ではあるが、大型双眼鏡で監視をしている見張には影絵のように浮かび上がる敵編隊のシルエットは急速に接近してまるで瞬くたびに大きくなってくるように見え、操作桿を握りしめる手に脂汗がにじみ、時間が経つのが遅く感じた。射撃盤が第二砲塔の旋回及び俯仰角度受信機に砲撃指示を行うと、射撃手はそれを受けて非常に視認しにくいながら敵編隊のまとまりを照準鏡で捉える。これは多分に射撃手の腕前に頼らざる得ないが、幸いなことに伊吹による思念波コントロールがある限り、射手はあまり神経質にならないですんだ。転舵号令が出て三分少々を経て艦は傾斜回復し定針できた。と同時に艦内電話が鳴った。
『射撃準備ヨシ!』
「全主砲順次打ち方開始せよ!斉射一回だ。」
 渡邉が艦内電話で号令した。
 発令所の射撃要素が表示される第二砲塔の射撃装置で那須高射長が「撃て!」と叫んだ。4門の巨砲が発砲するとその衝撃波は海面を沸騰させるがごとく泡立てて夜目にもはっきりとした飛沫を遥かすす百メートル先まで吹き上げ、その凶暴な炎は静かにうねる漆黒の海を真昼のように照らして輝かせた。たちまちたちこもった砲煙の中、低い弾道で放たれた対空弾は鮮やかな光の尾を持った彗星となって波間を切り裂きながら恐ろしい速度で飛翔してゆく。
 伊吹は打ち出された砲弾をいつもとは違って意識的に敵編隊先鋒の多少手前で起爆させた。誤差が大きい時にやり過ごすよりは敵進行の眼前を塞ぐのは確実な攪乱になる。自艦以外の測的でなおさら不確定要素の大きい夜間戦闘の斉射ではあったが、海面から上空150mくらいという低空で爆発したそれは、衝撃波で海面を沸騰させて強烈な水圧の壁を生じ、爆風が水平方向で傘型に爆発が広がってゆくと見事に10数機の敵攻撃機が焼夷弾の雨と吹き上げられた水の壁にぶちあたって機体が分解炎上し、あるいは翼をもがれて爆発を繰り返しながら黒い海上の闇へ墜落していった。
《 敵編隊攻撃成功。撃墜多数。機種B17クラス 大型攻撃機。撃ち漏らしの敵機は後方へ逃げてゆきます。》
 伊吹は最後四弾目を起爆する瞬間において敵編隊の偵察を怠らず静かに報告する。
「主砲打ち方中止!防護板おろせ!取舵40 右舷機黒30 左舷機赤50。」 
 渡邉は即座に主砲から副砲に攻撃方法を切り替えた。攪乱された敵編隊は再びまとまりとして突っ込んでくるとは考えにくかった。撃ち漏らした敵は前後左右から回り込んで本艦を襲ってくるだろう。こうなっては、もう敵の目標になることをもう恐れる理由は無い。転舵した伊吹は再び<氷川丸>の側へと向きを変えてゆく。
「全探照灯照射せよ!敵機を逃すなっ!」
 渡邉は躊躇なく自艦の煙突回りに備えられた全六基中生き残っていた四基の大型探照灯を点灯した。砲煙がまだ漂う洋上を非常にはっきりと150cm探照灯が一斉に暗闇の夜空を巨大な光芒で切り裂いた。と、その光芒に照らされたものを見て見張所に立つ者誰もが背筋を凍らせた。沢山の黒い怪鳥がそう高くもない空を不気味に徘徊していた。撃ち漏らした敵機は五,六機単位の複数編隊だった。数はよく分からない。彼らは探照灯の光芒に幻惑されるのを嫌い低空水平爆撃を避けて上空へと舞い上がってゆく。闇夜で直接アーク光を照らされればパイロットは何をしてもその眩さで目をやられる。見ると護衛駆逐艦でも探照灯を照射はじめた。敵機が取りうる有効な攻撃は、もはや水平爆撃だけである。
「見張員要員は防空指揮所へ上がれ!俺も往く!」
 そう下知すると渡邉は先頭を切ってタラップを駆け上がっていった。要員たちも後を追う。
「おもーかじ30!左舷機黒50右舷機赤50  随時副砲打ち方はじめ!」
 防空指揮所に辿り着きざま、従羅針儀横の伝声管に渡邉は大声で号令した。またも急激な転舵に直ぐに舳先を回せない大型軽巡は、左に大きく傾きながら横滑りする。しかし、艦が安定するのを待てずに舷側の副砲群は火を噴いて猛烈な弾幕を張り始めた。
 探照灯の光を浴びつつ頭上に迫り来るB17爆撃機は双発エンジンの唸りで威嚇しながらと連続してぽろりと小さな黒いシミを落とした。そして翼を振り機首を巡らしてゆうゆうと飛び去ろうとする。が、黒いシミは直ぐに暗闇に紛れて見失われた。
「頭上敵機投弾!ああ、だめだっ、見失った!」
「落ち着け。大丈夫だ!防毒マスクをして伏せるんだ!上を見るな!眩惑されるぞ!伏せろっ!」
 渡邉は自ら落ち着きをみせるように大声だがヒステリックにならぬように叫んだ。伊吹の奇跡の力は乗組員にはまだ完全に理解されていない。信じろと言うのも結構な無理がある。渡邉が動揺しているように見えてはいけないのだ。渡邉の怒声に防空指揮所の一〇数名はブルワークの隅、あるいは手近な機器類の下で格子床に額を付けて一斉に屈み込んだ。それでも数人が呆然と行動を起こさずに口を開けて空を見ている。
「馬鹿野郎、伏せろっと言っているんだっ!」
 再び渡邉は叫んで彼らに飛びつくと粗っぽく引き倒して床に顔を押しつけた。そして自分は這い蹲ったまま従羅針儀の基部に戻った。
 その途端全てを圧するがごとく頭上遥か高い宙において突如太陽が現れ、その閃光は次々とまばゆく空を光で飽和させた。耳をつんざく炸裂音は鼓膜を破るように彼らを音圧で襲い、遅れて全てをなぎ払うがごとく熱い爆風が防空指揮所の要員達の丸めた背中を激しく叩いた。が、彼らは我に返るとその激しい爆発にもかかわらず自分たちが直撃を被らなかったことに気づいた。
「副長!これは一体?!」
 傍らの従兵が額に一杯脂汗をかいて顔を起こし、目を丸くして渡邉に尋ねた。
「藤原准尉の”能力”だ。彼女が念動力で敵の爆撃を防いでいるのだ。」
《 副長!もう少しそのまま伏せてください! 》
 ふいに渡邉は伊吹からの警鐘を聞いた。上空をちらりと確認するとアーク光の綾なす夜空に再び黒い怪鳥が頭上にさしかかってくるのを見た。
「全員、そのまま待機しろっ!また来るっ!」
 状態を軽く起こして背後を見ると渡邉は伊吹に言われるままに兵員たちに伏せているように叫んで命じた。今度は全員が即座に素直に従った。再び、爆撃が始まりやはり同様に投弾された爆弾が伊吹の上空で炸裂した。しかし、今回も伊吹自体へなんら被害をもたらす様子は無かった。衝撃波は防空指揮所の乗員たちを襲ってきたが、しかし、またもや何も損害を受けなかったことに気づいてその場の全員が驚きに満ちた顔で顔を上げて、次いで一斉に副長の顔を視線を泳がせた。
「これが藤原准尉の力なのか?信じられん。」
 見張先任兵曹が煤で汚れた顔を手のひらで拭いながら呟いた。だれもが同じ事を即座に思い浮かべていた。渡邉は苦笑いをした。
「俺も信じられないが、今、見たとおりだ。彼女の力は我々を守ってくれている。」
 渡邉は防毒マスクを外して立上がった。探照灯のアーク光が蠢く星空の中、副砲群が敵編隊に向けて猛烈な砲撃を始めている。敵編隊の一部が左舷直ぐ500メートルと離れていない<氷川丸>にも襲いかかっていた。そちらは上空からの爆撃と低空投弾による連携攻撃だった。白い大型病院船は群狼に取り囲まれた羊のように見えたが、しかし、伊吹が、伊吹の”能力”が、そうはさせなかった。敵は雷撃と反跳攻撃を同時に左右から行ってきたが、海面に触れたとたん全ての魚雷及び爆弾は直ちに爆発してしまい、その主は自らの刃による爆風と水柱で血祭りに上げられてしまった。
『伊吹はどんどん驚くべき力を発揮できるようになってきたな。』
 その様子を見て渡邉は舌を巻いて内心驚愕するほかなかった。そして心の奥深く空恐ろしいものを感じた。しかし、そんな思いは瞬時に消さねばならなかった。今は彼女を信じて目の前の敵と対峙しなければならないのだ。

 弾道管制所にいる今井も、渡邉と同じ感慨を持っていた。艦内深く外の状態が全く分からない弾道管制所の装甲で囲われた箱の中ではあったが、今井には彼女の戦いぶりを監視するオシロスコープの表示でその輝く波における複数の位相が極端に高い密度と変化し、振幅を大きくしていることで全体として強度が強くなってきていることがはっきりと感じられた。”黒い椅子”、精神感応レシーバに高貴な王女のようにゆったりと座る伊吹の姿は白い光に包まれて白熱しているように見える。その額に”銀の冠”を輝かせたその横顔は、まるで午睡に微睡んでいるかのようだったが、時折うっすらと瞼をあげる時、その長い睫毛の下でキラキラと強い意志を示す光が射した。今の伊吹はまるで数時間前の鬱々とした様子とはかけ離れて冷静沈着に戦闘に集中している。まさに戦う北欧神話にあるワルキューレを想わせた。
『このまま、彼女は以前俺が望んでいたように戦いに麻痺してしまうのだろうか。』
ちらりと今井は今更恐れ戸惑う自分を見つけた。
《 大尉。そんなことは無いですよ。》
ぎょっとして今井は振り返った。耳?を疑った。伊吹の精神感応は一方通行のはずだ。なぜ、自分の想ったことが伝わるんだ?
《 ごめんなさい!大尉。私、今は皆さんの想うことが読めるようです。》
愕然としてふと目の前のオシロスコープを見ると、その波形は振り切らんばかりに暴れていて、もう判読できる状態になかった。
「准尉!」
《 大丈夫です。大尉は安心して見守っていてください。 》
 軽く小首を傾げた伊吹の美しい微笑みが脳内にイメージしてきた。大きく膨らんで今井はその大きさにたじろいだが、それでもほかの所員に震える体をばれないように自分を保つことに精一杯努力するほかなかった。と、床がばたついて体が左右に上下に激しく打ち上げられた。またもや主砲による発砲衝撃だった。攻撃をそして防御をと、多くのことをこなしているにも関わらず伊吹は、自分をを気遣うほどの余裕で戦闘を続けているのか?!今井はただ唖然とするばかりだった。
『もう、何も言うまい。俺も君を信じてこの思念波弾道管制装置を生命に代えても守る。そして君の命も守る!』
 ”黒い椅子”に今も座る伊吹は正面を向いて相変わらずやぶにらみで宙を凝視しているようだがだったが、そう想った今井の精神にすっと侵入して投影してきた彼女の顔は黙って天使の微笑みを浮かべていた。
《 大尉。》
言葉少なく今井に再び呼びかけると彼女は凛として頷いた。



22時45分


「副長、第二艦隊から電令です!」
「読め!」
「”第八護衛戦隊森下司令官宛 我が艦隊は2250敵攻撃機と交戦 旗艦<大和>小破傾斜5度速力21ノット 現在行動可能軽巡1小破 駆逐艦2小破  現在粟国島東沖20km 東経127-23北緯26-33を航行中我なお突撃を敢行す。予定通り本日2330 宣野湾内に突入の見込み。HJは呼応し突入のこと。貴艦隊はあくまでこれを守り抜くべし。HJ突入指示は貴官が行うべし。 連合艦隊第二艦隊司令官伊藤誠一”以上」
 ここに来て伊藤長官は無線封鎖を破ったことを渡邉は非常に重い気持ちで受け止めた。森下艦長ならどう思うのだろうか。
「返信せよ。”連合艦隊第二艦隊伊藤司令長官宛 当艦隊は現在兵力 大型対空巡1中破 護衛駆逐艦4うち小破3 HJ無傷 機雷・航空・水上艦と連続波状攻撃を蒙るも航行支障無し。予定通り2330 HJ突入へ全力を尽くす 第八護衛戦隊司令官森下信衛」
 渡邉は敢えて森下の名前を付記した。最後の無線交信になるかもしれないなと心の奥で想った。ふと軽く手を添えた防空指揮所の従羅針儀は夜露で濡れて冷たかった。見上げれば相変わらず敵B17の爆撃は続いていてその爆裂は上空を時折猛烈な光芒で包んでいたが、伊吹は一種の結界を自らの周囲に張り巡らしているため、敵の攻撃は結局彼女に被害を与えることは出来なかった。彼らの思いは如何ばかりのことか、どんなに爆撃を行っても伊吹にはかすり傷すら負わせられないのだ。中には投弾を終えると機銃掃射をしようと半場急降下に近い角度で侵入してくる機もあったが、探照灯の光に照らされてそう容易に伊吹に近づくことが出来ずに結局副砲に打ち落とされるのであった。その両舷の副砲群はいくつかの砲門で砲身命数が尽きて腔発爆発を起こし、最前に比べると射撃威力を減じていたが、それでも生き残った十数門は激しく爆撃機に対空砲火を浴びせている。その烈火のごとく吹き上げる砲火と探照灯の煌めきは、夜空を幻想的な美しさで飾っている。敵も人知を越えた驚異的な大型艦<伊吹>をなんとか仕留めたいと藻掻いているのだろう。
 伊吹の脇を航行する<氷川丸>はさすがに何回も至近弾を浴びて、各所の灯火が消えて被害を若干受けている様子だった。しかし、伊吹は可能な限り彼女へ及ぶ爆雷撃を事前に察知してそれが有る程度の距離に近づくと念動力で進行方向や落下方向をねじ曲げてしまうのだった。そして援護射撃は<氷川丸>に敵機が襲いかかることを簡単に許しはない。
 先鋒で機雷による深手を負った防空駆逐艦<新月>が足取りこそ鈍いが、相変わらず随伴しようとしている横を伊吹は通り過ぎたが、彼女は艦首をおかしな方向にねじ曲げられて、第一砲塔まで外板が破れている様子だった。もはや戦闘航海は難しいだろう。渡邉は発光信号で<新月>に対して自艦保全を促した。しかし<新月>からの了解信号は無かった。
「あいつは何を考えて居るんだ。もう戦える状態じゃないだろう。おい、電信だ。もう一度信号しろっ!”直ちに避退し自艦保全に努めよ”以上。応答するまで打て。」
「艦首前方一時の方向に砲火っ!」
 見張員の声に渡邉は水平線を睨むと確かに何度も何度も煌めきが瞬いた。手近な二十五cm大型双眼鏡を覗くと彼方の砲火と探照灯のアーク光が見えた。まだ遠いが段々近づいてくるのは間違いない。中型艦を戦闘に数隻の護衛艦を従えた大戦艦は<大和>だ。三連装三基九門の砲身を振り立ててはいるが、実際激しく砲撃を繰り返しているのはハリネズミのように上構を取り巻く対空砲だった。
「第二艦隊か。」
 腕時計を見て渡邉は一人ごちた。ほぼ予定通り彼らは現れた。例の電令作を思い出す。
 更に見ると航空機が相当数飛び回って彼女たちに襲いかかって、激しく水柱を上げている。ただ、推し量るに夜戦は飛行機には不利と見え、彼らは想うように艦艇に打撃を与えられずにいるように見て取れる。それでも一隻の駆逐艦がいましも被弾し大爆発を起こし、紅蓮の炎を吹き上げた。彼女はもう助からないだろう。渡邉は双眼鏡から目を離して命令を下した。
「後部主砲射撃用意!目標 第二艦隊上空敵機っ!」
前部主砲を撃つと砲煙で自艦防御の対空射撃が不可能になるのを嫌い、向かい風を幸いに後部砲塔だけを使うことにしたのだ。相手が光り輝いて見えるので即時、砲側目視測距、照準で三番四番六十七サンチ重高角砲が火を噴いた。
 伊吹はいつものように迷うことなく淡々と対空弾をコントロールした。そして初弾を起爆させる時、一瞬だが第二艦隊の一艦、<大和>の舳先から1000m近く離れて高速で走り回りながら先方を往く中型艦を見つけ、その詳細を覗き見ることが出来て、思わず「はっ」と息を呑んでしまった。
 軽巡洋艦<矢矧>だった。速力は全く衰えた様子がなかったが、<矢矧>の上構は艦橋背後のメインマストから後ろがボロボロに相当崩れ落ちており、艦中央の水上機作業甲板辺りは既に屑鉄廃棄物の山、マストは前後共に完全に折れており、見たところ浸水は酷くなかったが後部左舷十メートルほどがざっくりと割れて波が吹き込んでいる様子だった。そして無数の兵士達が赤い血糊まみれに甲板のそこかしこ、あるいはブルワークにゴミのように引っかかっている。しかし、前後の15サンチ連装砲塔も両舷の長八サンチ連装高角砲も全艦の生きている二十五ミリ機銃も弱々しいもののまだなんとか対空砲火を打ち上げていた。
 伊吹がしかし、もっとも注意を引いたのは艦橋トップの防空指揮所に二種軍装も鮮やかな一人の若い指揮官が伝声管に向かって何かを怒鳴っている様子だった。
《 お兄様っ!》
激しい胸の鼓動を感じながら、それでもそれにとらわれず伊吹は起爆を忘れなかった。彼女は既に無意識で機械的に戦闘を続けていた。たった今、網膜に映った奮闘する兄の姿を切ない気持ちで伊吹は思うにしても、次から次へと放たれる三式弾を起爆させてゆくことをわすれなかった。彼女は兄を守るためにも、今は全力で戦うしかないと想った。
 後部砲塔二門だけの伊吹の援護射撃であったが、二斉射目で相当数居た攻撃機は激減させ首尾良く敵編隊を蹴散らすことには成功したようだった。彼らは目前の大型戦艦という好餌に夢中で背後からのまさかの対空砲火には注意を払っていなかった。撃墜された機体の操縦士達には何が起こったのかも分からなかったであろう。こと状態から見ると連合軍の中でも伊吹と対空巡洋艦の威力は神がかりすぎて、敵の航空指揮官は認識と注意が足らなかったのかもしれない。彼らの責任を攻めるには、今御こなれている非現実的な力の説明が必要だろうが、あいにく彼らは藤原伊吹という一人の少女がその”能力”を駆使していることなど思いも寄らない事態だった。
 とうの伊吹は何か今まで感じたことがない戦いに勝利することへの達成感と陶酔感を感じていた。そして兄を守っているという気持ちがそれに拍車を掛けていた。
 最後の斉射の時、また<矢矧>を見る機会を得て、奮闘する軽巡の防空指揮所に再び兄の姿を見ることが出来た。よく観察すると彼の周囲に士官が居ない。血みどろの兵士の中に上級将校の死体らしきものが見えた。察するに<矢矧>は先任指揮官が倒れて航海長である兄が指揮を執っているのかもしれない。想像しているうちにあっという間に起爆時間が来たので伊吹は信管を起動させた、とその時、その士官はこちらを見た。防毒マスクを加えたその顔は額でも割れているのか血だらけで決死の形相だった。
《 嗚呼っ、お兄様‥ 》
文字通り声にならぬ小さな叫びをあげたが、すぐに彼の姿は網膜の底の残像と化し見えなくなった。”黒い椅子”の伊吹は思わず両手で顔を覆ってしまった。
「どうした?准尉?!」
 見咎めて今井が肉声で尋ねてきたので伊吹は我に返った。ここは弾道管制室だった。
「なにかあったのか?」
 伊吹の足下に屈んでその顔をのぞき込んだ今井は、重ねて静かに尋ねた。伊吹は小さくつぶやくように言った。
「す、すみません!大尉。ちょっと・・<矢矧>が・・・・<矢矧>で兄が見えて・・・・・」
「<矢矧>?そうか、君のお兄さん乗組みだったね!?藤原征志航海長少佐・・・か。」
 伊吹は涙を拭いもせず、顔を上げて頷いた。今井は何があったのかを大体察した。
「生きてらっしゃるのかな?」
「暗くて明滅する光の中でしたが、兄は艦の指揮を執っているように思えました。でも<矢矧>の損傷はかなり酷いです。艦橋も含めて上構が廃墟のようでした。」
「そうですか。」
 今井は力強く励まして伊吹の両手をしっかりと握りしめた。
「まずは現状の敵航空機は打ち払ったのかな?」
「はい。」
「破壊されているとは言っても<矢矧>もお兄さんもまだ生きている。ここは何とか援護してこの後も生き残って頂かないとならないな。もう少しだ、頑張ろう。」
 じっと伊吹はうつむいて小さく頷いていたが、やがて気を取り直して右手で瞼をぬぐうときりっと顔を上げた。そして小さくでも語気も強く口走った。
「絶対負けません!」
 言い終わらないうちに主砲発射用意のブザーが鳴り響いた。
『弾道管制室!敵大編隊襲来。対空攻撃準備 待機せよ!』
 高声器が耳障りなノイズ音を含んで次の攻撃を告げた。今井に促されるより速く伊吹は再び”黒い椅子”の中で次の砲撃指示を待った。直ぐに打ち方開始が号令され、再び伊吹は砲弾のコントロールをはじめた。
 砲撃は再び開始された。随伴駆逐艦からの電探による分析から、驚くべき事に第二艦隊そして第八護衛戦隊をそれぞれ襲ってきたのは二百機以上は居ると想われる大編隊だった。もはや、敵も死力を尽くしている感が感じられる。さすがの渡邉も連合軍の驚くべき物量に感嘆を上げた。獅子はどんな小さな獲物を追うのにも全力を尽くすという話を思い出す。報告を聞いた時、さすがに伊吹とは言えどこまで攻撃に耐えてゆけるのか、不安になった。彼女とて体力気力の限界がある。宣野湾の狭い海域で飛んで火に入る夏の虫である。それはあの水平線の向こうで戦いを繰り広げている第二艦隊においては更に絶望的であった。
 その第二艦隊の<大和>は今や自艦防御すら放棄し、その強力無比の四十六サンチ砲九門を遠く沖縄本島・連合軍上陸部隊へと向けて艦砲射撃を開始していた。<大和>の艦砲射撃は狙いを過たず宣野湾沿岸を次々と砲弾の嵐で見舞っていた。砂浜に繋がれた敵の無数にある上陸用舟艇は燃え上がって粉々に四散し、沖合から浜辺へと伸びて築かれた雄大な橋頭堡は洋上で炎上しバラバラにちぎれつつ潮に流されてゆく。じりじりとだが戦艦<大和>が沖縄本島へ近づくにつれ、砲撃は次第に沿岸より内陸にも広がっていく。完全に陥落している宣野湾沿い連合軍陣地の構築物は次々に吹き飛ばされて燃え上がった。彼らは今までの勝利とは全く逆の立場だった。寝耳に水の帝國艦隊の艦砲射撃によって連合軍は大混乱を来し陣地で逃げまどう兵士達の頭上には1tを越える巨弾が次々に落下しそれは地上で爆発すると硬い大地をすさまじいエネルギーで吹き飛ばした。連合軍は圧倒的な物量と合理的な作戦で沖縄守備軍を今まで蹴散らしてきたのだ。それが今や、前代未聞の怪物大戦艦とまるで得体の知れぬ魔力を持った妖獣軍艦に翻弄されているのだ。
 一方から見れば、それは痛快な攻撃であり敵を蹴散らすことに快感を覚えることもできるであろう。砲撃を受ける当事者にとってみればまさに地獄絵図だった。
 <伊吹>はなおも南西より飛来してくる連合軍の攻撃機を迎撃していた。作戦では<伊吹>は地上攻撃に加わることになっていたが、もはや大編隊を前にそれどころではなかった。敵編隊は夜間というハンディをものともせず、航空機搭載電探という文明の利器を駆使して襲いかかってくるのだ。しかし、伊吹は敵編隊が回り込まないうちに遥か二万メートル以上から援護射撃を打ち上げた。何度と無く砲弾が炸裂して、散弾が命中された航空機が何機もバラバラと捩れた炎を伴う流星となって暗い洋上に次々と墜落してゆく。今や連続砲撃とその爆発による破壊の光で深夜に入ってなお昼間のように南シナ海は黄金色と朱色の輝きで飽和していた。
 しかし、防空指揮所から降りて戻ってきた渡邉たちはひどく緊張感を漂わせていた。赤色灯で暗い羅針艦橋に居並ぶどの面々も額の汗をただ流れるに任せている。伊吹の”能力”に守られているとは言え、それはどこまで耐えることなのか。そしてほぼ一日中砲撃を繰り返す伊吹の主砲にもそろそろ限界が出てくる頃だった。主砲は無限に砲弾を発射できるわけではない。大砲の砲身には命数と言って、撃った数がその命数を越えると急激に性能が劣化し、酷い時には砲身が爆発して裂ける事・腔発もあるのだ。事実、先に書いたとおり副砲・長十サンチ砲では命数が尽きて居る数が馬鹿にならなくなっている。今や、伊吹の応戦も防御も、いつ何時何が起こるか分からない状態になっているのだ。
「航海長。嘉手納沖*1まではどれくらいだ?」
 防護板に手を掛けてスリットから様子を見ていた渡邉はそれから目を離し、航海図にずっとかかり切りの脇田に語りかけた。その声は既にがらがらに嗄れていたから、強烈な砲声の中では、聞き取りにくくて脇田は直ぐ側に寄っていった。
「五海里だ。」*2
「ふむ、そろそろだな。<氷川丸>を突入させよう。」
*3水深が浅くなってきている。もう本艦の吃水は厳しくなってくる。水測で測深したい。」
「頼む。」
 渡邉が頷くと脇田は即座に水測室へ連絡をとった。ここで水中探信儀を使っても、もはや潜水艦は現れないだろう。
「副長!逆探に感!水上艦隊の電波です。距離五十海里 方位289」
「こっちは恐らく本物の戦艦だな。ようやく追いついたと言うことか。しかし、無視できないにもかかわらず我が戦隊は迎撃する余地が全くない。」
 神妙に笑いもせず、防護板のスリットを覗き込みながら渡邉は両手を揉みしだき思案顔で言った。
「ここはあそこにおわします大戦艦にお任せしよう。俺たちの主砲は弾薬庫に在庫が無い。砲身も限界だろう。我々の有効射程内に居る以上、<氷川丸>もここまで来れば那覇港へ入れるさ。」
「そうだね。」
冷静に脇田が言ったことに渡邉も相づちを打って、左舷に並ぶ<氷川丸>を見やった。彼女は今も悠然と白波を蹴立てて航走してゆく。
「伝令!」
従兵が駆け寄ってきた。
「<氷川丸>に電信。”ただちに沖縄本島嘉手納海岸沖合い*4へ突入されたし”以上。緊急だ。それから護衛駆逐艦各艦にも電信。”各艦<氷川丸>周囲に展開し直ちにその護衛を行うべし”以上。」」
 まもなく<氷川丸>は了解信号を返信してきた。
「3,4番主砲<氷川丸>上空を狙え!一匹たりと<氷川丸>に敵を近づけるなっ!

*1:5/14訂正 宣野湾は都市名だったorz 那覇港は1万tクラスは入れる港では無かったです。4・1の連合軍上陸は嘉手納の海岸からでした。

*2:5/14訂正

*3:5/14訂正

*4:5/14訂正