「スターバト・マーテル」

今密かに嵌っているのがこれ。
あまり知られていないようだが、ドボルザーク中期の大傑作。混声合唱とオーケストラという編成で「レクイエム」などと並び重厚で荘厳な音楽である。
スターバト・マーテル(悲しめる聖母)というのは、聖母マリアが息子イエスの死を嘆き悲しむ姿を20編の節でうたわれておるもので、コチラが詳しい。

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面白いのだが、この「スターバト・マーテル」の作曲作品はどの音楽家のものも佳品となる傾向があるようで、それぞれ悪く言う人はあんまりいないようだ。ドボルザークのほかペルゴレージシマノフスキなどは傑作とされている。
件の「スターバト・マーテル」は、ドボルザークらしい流れるような美しい旋律と所々で「あれ?聴いたこと有る感じ」となる後日の交響作品に現れるフレージング・転調・オーケストレーション効果などあちらこちらではっとなる部分が多い。
ドボルザークは、この作曲の前、1873年に結婚し作曲家としても日の目を浴び始めてところであり、オルガニストとして稼ぎも安定してきたところだった。しかし、1875年9月生まれたばかりの娘を2日目に亡くし、ドボルザークは其れを契機に「スターバト・マーテル」の作曲を開始する。
そのような中、不幸は更に追い打ちを掛けてきた。1877年8月にはやはり1歳まで後一月という娘が劇薬を誤飲して死に、同年9月すぐに3歳6ヶ月の息子を天然痘で失った。作曲者は36歳の誕生日当日だったという。*1この相次ぐ悲しい出来事は同年11月に「スターバト・マーテル」の完成へと結びついて行く。
初演は、しかし3年後で1880年12月23日プラハ。これは人々に深い感動を与え大成功を収めたため、一躍ドボルザークは有名になった。特に1883年、84年のロンドン公演はイギリスから世界への名をあげるきっかけとなった。これはグレツキの「悲歌のシンフォニー」を思い起こさせるエピソードだ。
さて内容は最初のゆっくりと半音階的に下降するテノールの主題をライトモチーフとして、ただひたすら悲しみを歌い上げてゆく。
10曲に編されており、80分近い大曲。第一曲が20分を要し、第2曲も11分でこの2曲が全体の4割を締めているが、これを見ると宗教的な味わいもさることながら、マーラーの「復活」などへの影響も感じられる。第3曲の「Eja mater fons amoris」など聴くとマーラーの5番1楽章の葬送音楽は「ぱくり?」なんて思っちゃう。
悲しみ、悲しみと切々と歌い上げられて行くが、最後の最後は明るい希望の日差しも差し込んできて救われる。(ほっとするぅ!)ドボルザークの深い悲しみを共有出来た人ならここで涙することだろう。

ドヴォルザーク:スターバト・マーテル

ドヴォルザーク:スターバト・マーテル

*1:この後ドボルザークは二男四女の子宝に恵まれたのが救いだ。