交響曲第2番

北欧の大自然を想わせる大曲

本年はそういうわけでシベリウス没後半世紀たった年でした。
で、本日はシベリウスの5番などに拮抗する人気曲 第2番。曲についてはいつものように
コチラ参照。
交響曲第2番 (シベリウス) - Wikipedia
あるいは、
Portrait of Jean SibeliusさんのŒð‹¿‹È‘æ‚Q”Ôが詳しく。
「名盤鑑定百科交響曲編」でも触れられているけど、作曲時期的には、マーラーの5番と近く、確かに全く違った様式で交響曲の究極の形を追い求めていた二人の作曲方法の違いが誠に興味深い。この2番と比較すればやはりマーラーの方がやや進歩的な交響曲を編み出していたような気がするが、それでも魅力と言うことで言ったら甲乙付けがたいものがある。交響詩フィンランディアとならぶ、親しみやすい楽想、ロマンティシズムなど2番の魅力は一度ハマルと抜けられないものを持っていてシベリウス全般に言えるけど「知ったら最後」どっぷりと身を沈めなければ満足できないという音楽だ。
1楽章は、詩情溢れる湖畔の情景のように始まり、鳥のさえずりのような可愛らしい木管の基本主題と弦の伴奏、そしてホルンの応答がいきなり恍惚。それは断片的だがたっぷりと歌心を持つ第1主題となって息の長い主題と変化する。やがて一つの山を作ると第2主題が現れ、提示部を終えると共に 直ちに展開部へ。ここから展開は後のシベリウスを決定づける複雑怪奇しかも類型を持たない非常に新見のある部分でリズム・音響的にも興味深い部分である。扱う主題も第2主題を主として基本主題の変化形を絡め、後半に第1主題を変奏させて再び山を作るあたりはもう、シベリウスの真骨頂であろう。そして再現部は基本主題、第1主題、第2主題を適宜短縮して再び湖畔の情景に戻る。
2楽章ではピティカート刻むような伴奏にファゴットのレジタティーボ。狩人が安らぎを求めて森を彷徨い歩くがごとく進んでゆく。やや土俗的な響きだが、大変に熱情的で激しい。響きの全体の印象が7番やタピオラのような恐ろしく深い思いを感じる。
3楽章はちょっとごつごつしたスケルツォ。A−B−A’−B’−A’’というロンド形式だが、AはVivacissimo(!?)*1で無窮的な弦のランニングパッセージ、BはLentoで非常に美しくも叙情的なメロディー。再びA’でVivacissimoのランニングパッセージだが、次の楽章の主題を断片的に表して、突如LentoのB’、そして速度を大きく変えず動きを持つA’’でランニングパッセージを大きく展開しつつアタッカで4楽章へ。
低音のごりごりとうねる音形に希望に溢れるシンプルな上昇音形が乗って大きな喜びの賛歌を歌い上げる。どこをとっても威風堂々、熱き心を感じさせる音楽。たっぷり、しつこいくらいたっぷりロンド形式でこれら主題を歌い上げ、フィンランドへの愛情と誇り、そして希望をまるで雲間から射す陽光のごとく、煌めきながら終わります。

フィンランド出身の指揮者オッコ・カムがベルリンフィルを雄大に扱って輝くような響きを編み出しています。名演ではないかと。

シベリウス:交響曲第2番

シベリウス:交響曲第2番

参考ディスク:

シベリウス:交響曲第2番 ほか

シベリウス:交響曲第2番 ほか


こちらも熱演とのことです。

*1:この「とても活発に」の表現も面白いけど、全体にこの曲はリズムが大変興味深く、特に練習番号Eの前にゲネラルパウゼが異様に並んでいたりして面白い。