「帝國軍艦 伊 吹」プロローグ((改訂))((9/27改訂))

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”テキ キエイ キエタッ。。。。。。。テッキ ゼンメツノミコミ!!”

伝声管を通じて第1電探室からの報告は、うわずり気味でくぐもっていたがそれは伊吹にも聞こえた。

「了解!再度、残敵無いか確認急げ」

 今井大尉は、落ち着いた低い声で答え指示した。

 艦内深く潜められているこの管制室は吸気ダクトの遠く低い響きに満ちていて、伊吹と大尉、そして二名の通信兵が無言で思念波増幅装置を調整している他は、何も物音が無く、衣擦れの音でさえ、けっこうな大きさで聞こえた。時折、装置類から軽いハムノイズが聞こえる他、戦闘中の薄暗い明かりの中で一体何が外で起こっているのか隔離された冷たい世界であった。
 伝声管の蓋を閉め、天井の低い弾道管制室で、さほど背が大きくもない中肉中背の大尉も身を若干かがめつつ、その立ち位置のまま上半身だけ後ろを振り返り、部屋の中央でただ何も無い壁に向かって座って瞑想にふけっているかのような一人の人物へ静かに優しく、しかし熱っぽく語りかけた。

「勝ったようだよ....伊吹君」

 白い襟に紺のラインの襟を持つセーラー服、ネクタイは綺麗な臙脂色という一見普通の女学生の服装をしたその髪の長い少女は、午睡から目覚めるように、ふと眼差しを上げた。そして更に、その頭に被されている電線の沢山繋がっている銀色の冠をそっと両手で持ち支えながら顔を持ち上げた。年の頃は今は国民小学校と名を変えたが尋常小学校を終えたくらいか、柔らかでさらさらと流れる黒髪はこの物品欠乏の戦中さなかでも、よく手入れされた気品に溢れ、彼女が上流階級の身分であることを物語る。透き通るような白い肌の頬は、血の気が無くまるで作り物のような美しさだった。目鼻立ちも西洋人形のように整っていたが、年相応の幼さと純粋さを感じられる。
 伊吹と呼ばれたその少女は、疲れた憂鬱そうな暗い瞳を宙に迷わせた。いつも優しい青年将校である丸顔の今井大尉は口元に拳を当てて、微笑んでもいないが明らかに満足そうな顔であった。そんな大尉の顔を見つめて彼女は改めて結果を噛み締めた。

 『そうか、勝ったのね.....』

 すると伊吹の目頭から独りでに一条の涙が方を伝って落ちた。

 その涙は、一つには確かに先ほどまでの恐ろしいまでの緊張からの解放によるものであった。
 この作戦が失敗すれば、味方の第二艦隊 総勢五千人強の生命が、ほぼ確実に死を意味する危険に無防備で晒されるところだったのだ。その容赦ならぬ敵からの防衛成否は、だれあろう伊吹自身が成し遂げねばならない「心」の戦いにかかっていたのだ。
 だが、それを上回って彼女は、自分の思念波が及ぼした百を超える敵攻撃機の男達が一瞬にして死ンだ事を思いやり悲嘆した。その「罪」に強くさいなまれた。涙は止めることは出来なかったし、できれば声を上げて泣きたかった。

『ワタシハヒトヲコロシタ』

 伊吹はでも嗚咽するようなことはしなかった。

 敵を思いやるより味方の無事を喜べ!泣き叫べばそれで済むわけではない。人を殺めた罪は、泣いても贖罪されるわけではない。彼女の聡明かつ怜悧な理性は、無様な自分を人に見せることを許すものではなかった。

 『殺らねば殺られる』
 戦闘に先立って、この弾道管制室の重々しい黒い革張りのやや硬い椅子に座わらされ、今井大尉に思念波弾道管制装置の頭脳端末と呼ばれる銀の冠を被されながら、小さくしかし鋭く喚起するかのような彼のささやきを苦々しく想い出す。


『ヤラネバヤラレル』


「伊吹君、いや、藤原准尉。初陣おめでとう。」

何がおめでとうなものか???
伊吹は腹ただしく想った。

『ワタシハヒトヲコロシタ』

自分を責める自分の声。それは、回廊に響き渡る木霊のごとく空虚な彼女の思念の中で、最初は静かな漣として、しかし次第に大きなうねりとなって
ゆくのだ。

『ワタシハヒトヲコロシタ』
『ワタシハヒトヲコロシタ』
『ワタシハヒトヲコロシタ』
『ワタシハヒトヲコロシタ』
『ワタシハヒトヲコロシタ』
『ワタシハヒトヲコロシタ』



”ダンドウカンセイシツッ!!”

再び伝声管から落ち着きならぬ興奮した電探室からの連絡が聞こえてきた。

”カクニンシマシタ、テキエイ アリマセン センメツシマシタ”

「了解。」
今井大尉が再び応える。
ついで艦内電話を繋げ、戦闘艦橋の艦長と短く管制室内の状態報告を行った。

次の戦いには、まだ間があるだろう。

そっと静かに立ち上がって黒髪の少女は、銀の冠を両手ではずし、黒い椅子の座面に置いた。
そしてゆっくりと膝をついて両手を組み合わせ項垂れ、何も見えない鋼鉄の壁に向かって祈りを捧げた。

『ワタシハヒトヲコロシタ』

今井大尉はそんな伊吹の姿を聖マリアのような神々しいものに感じた。
「しかし、俺には感受性が少し足らないようだな。」
彼は伊吹の悲嘆は理解できなくもないが、勝利したことと、味方が敗北した時のことを天秤にかければ祈るような気持ちには成れなかった。
なにを持って合理性を保つのか?
戦争という極限で敵味方を満足するような結果など勝ち負けの白黒以外に何があるのだろう。
やはり彼女もいつか苦しみが麻痺し、生き残ることが全てであることを悟るのだろうか。
祈る伊吹を残し、彼は出口の厚み102ミリの防水扉を重々しく開いた。ここは、上の電探室が全くの無装甲なのに比べて、分厚い装甲に囲まれた一室であった。『生き残る』とは。。。。。。
通路に出て閉塞感から解放されたものの、晴れ晴れとした気持ちには成れなかったが、大尉は五体満足な自分に深い感謝を抱くくらいの感受性はあったことに気づいて自らを苦笑するしかなかった。「ガンルームで熱いコーヒーかな!」
せめて次の戦闘が来前にのどの渇きの満足を求めることにし、今井大尉は闊歩して通路の先へ消えた。


藤原伊吹が祈りを捧げた、その日午後の三時間に満たない間に、彼女にはそして「帝國軍艦 伊吹」には、更に四波、数九百を超える敵機との戦闘が待っていた........。





"彼方からの閃光 #1"

*1:ラフマニノフ ”ヴォカリーズ”オープニングテーマ