彼方からの閃光 #3((改訂))

 しかし、ようやく伊吹は気持ちを固めて改めて”黒い椅子”にゆったりと体を沈めた。硬い座面であったが座り心地は悪くなく、伊吹は気持ちの晴れないことを除けばそれなりにくつろげた。未だに葛藤はあったが、闘うことへ迷いを持つ時間は許されていない。脂汗を少し感じる。額を軽く小手でぬぐうと体温で暖かくなった”銀の冠”にこちりと当たった。それは非常に繊細に軽く作られており、着用感はあまり無い。ただ三つの丸い感能器の突起が後頭部二箇所と前頭部一箇所で頭皮に軽く接していて、その感触は柔らかくて、かえって心地よい感じもある。

 ふと思い起こせば、そう数ヶ月前、南樺太の豊原、まだ主砲を搭載しない巡洋艦「伊吹」で整備中のこの弾道管制室の中で、大尉は最初ただ単に”端末”と呼んでいた。

「大尉、これは何ですの?」
 初めて案内されて、まだ恐るべきその装置の実態を知らなかった伊吹は、”黒い椅子”に元気よくポンと体を投げ出して体を預けた後、ひょいと上体を起こして、きらきらぴかぴと銀色に光る王冠のような銀色の輪を興味深く見た。輪には小さな突起がたくさん突いていて、細かい電機部品が宝石の用に煌めいていた。この時は電気ケーブル類がついていなかったものの、それでもなにか科学的な機器の一部であることはすぐ理解できた。ただ、何の用途に使うのかは皆目見当が付かなかった。そして、大尉の手からそれを受け取ると無邪気に「まるでどこかのお后の冠のようですね!大尉、私に是非この”銀の冠を”授けて下さいますか?」などと、朗らかに笑ってねだった。
「わかりました、お姫様。では戴冠式をば。」
 と大いに笑って、”銀の冠”をうやうやしく頭上に掲げ、冠を伊吹の頭に被せると少し後退して体をかがめて右足を思い切り後ろに引いて右手をお腹に添え、左手を横方向へ水平に差し出しいわゆるバウアンスクレイプをした。伊吹も椅子から立ち上がってスカートの両端をつまんで持ち上げて優雅で美しくカーテシーで返礼する。おとぎ話のお芝居ごっこに、二人はもう、おかしくておかしくて大きく笑った。しかし一段落すると大尉は軽く咳払いして、いつもの真面目な面持ちで説明を始めた。
「ええ、これは貴方の念力能力、念視能力や精神遠隔感応能力を伝達するための装置の端末です。貴方が今身につけているように被って頂ければ、貴方はこの巡洋艦の様々な”感覚”を把握できます。更に増幅することにより思念波を分波して能力を拡げることを目指したものです。基本的には以前、目黒の海技研において永年研究されていた念力増幅の研究で考案されたものですが、実際には今まで微弱な能力者しか得られなかったためにあまり実用になりませんでした。しかし、貴方の能力なら期待が出来るかも知れません。」
 大尉は、振り返って配線が滝のように流れている壁の中に埋もれた鉄の頑丈な扉を探し出すと三つの小さなダイアルをくるくると手際よく回して、がちゃりと鈍い響きを立てて、それを開き重そうな分厚い書籍を引っ張り出した。その表紙には「思念波増幅兼伝達機器試験要領」とあり、さらに”軍極秘”と朱書きで大きく附記されている。
「藤原准尉、貴方とこれから様々な試験と訓練を行うことになります。特に重要なのは、この巡洋艦「伊吹」の主砲弾の遠隔操作に関わる部分です。要領書の二百五十頁から四百八頁にかけての項を参照して下さい。」
 要領書を伊吹に差し出すと、極めて真剣な眼差しでこう語った。ゆっくりと慎重に”銀の冠”を頭から外し、椅子の上にそうっと置くと、伊吹はそれを受け取った。そして、要領書の重みに耐えながら大尉が言う頁を探して、唖然とした。これは一体。。。。
「大変な作業でしょうが、貴方ならかならずこの装置を実現するでしょう。そして、その実現が我々の窮地を救い、貴方が帝國の滅亡を防ぐ救世主になると私は信じています。」
 伊吹は驚くばかりだった。東京大空襲で投げ出されて両親を失い、屋敷で生き残った二人のメイドと共に、茨城県水海道の身内を頼んで疎開していた伊吹は、突然何の前触れもなく今井大尉の訪問を受け、軍の機密事項に関わるのでと特に何も聞かされずここまで連れてこられた。

 彼女はもちろん自分の人とは違う”能力”について理解していた。
 伊吹は十才くらいから、心で念じると手を触れずに想ったように物体を動かしたり、壁の向こうを透視したり、あるいは自分の心を相手の心に伝えることが出来る”能力”に気づいた。ただ、この最後のいわゆる精神遠隔感能力は伊吹の意思を一方的に伝えることは出来たが、逆に相手の心を読むことは出来なかった。彼女の”能力”はあくまで彼女から発露する事象への要求にのみ反映するもののようである。
 ”能力”は驚くべき実体を示した。最初、幼い彼女は無意識にそれを用いた。メイドが転んで熱いスープを危うく被りそうになったときはそれをすっと四散させてしまったり、お抱えの庭師が高い木から落ちるのをふわりと受け止めて一命を救ったり、あるいは自分の誕生日プレゼントを両親の心に直接訴えたり、金儲け主義のやる気のない家庭教師が部屋の向こうで自分をおっぽり出して居眠りしているのを透視して見破ると、いきなり部屋を開けてそれを問いただしたり、と、数々の不思議を見せてきたのだ。もちろん、その”能力”を屋敷の者は恐れたが、理解ある両親の力で彼女の”能力”については全員に箝口令を強いることが出来た。聡明な彼女は、やがてそれを上手く世間から隠せるようになった。しかし、”能力”を押さえることが制御出来るようになって行く一方で、その力は強まる一方であった。
 家政婦長で乳母の八重樫ときに言わせると「寿命がいくつあっても足りませぬ。」という気持ちだったらしい。人徳者の両親の元、非常に結束力が高かった藤原家の者達も伊吹を理解し協力を誓った。しかし、ただでさえ目立つ令嬢が異端者であることの秘密を押し隠すのは、一般世間に対して一苦労だった。どこから聞きつけてくるのか、何度も何度も、うさんくさい探偵や記者、あるいは得体の知れない人間が、まるでハイエナのように伊吹の周りを探って来るため、藤原家の人々は、これらの輩から彼女を守ることに腐心し多大な労力を払った。それでも伊吹が品行方正に育ってくれたことは僥倖であった。彼女自身が問題を起こすことや目立つことをすることは皆無であった。
 
 伊吹は心を元に戻した。

 もう間もなく望むと望まないと艦隊は連合軍と戦闘を開始するのだ。つい小一時間前の第一波迎撃は訓練と同じように単純に敵機編隊の直前で改三式弾を起爆装置を作動させた。滑空する砲弾に載せた思念は、雲海を突き抜けて紺碧の空へ躍り出ると美しい何もない青空にまるで体は鳥になればかくやと言う浮遊感と自由落下による虚脱感で何の目的で自分が何をやっているのか忘れてしまいそうだったことを想いだした。
しかし今現実の伊吹の華奢な体は、分厚い装甲で匿われた狭苦しい弾道管制室の中に存在していた。少し大振りのそれの中では箱の中に詰めた人形のようにも見える。

今井は操作卓の方へ向き直って通信兵に指示を続けていた。
「二号七型電波警戒器接続。続いて、三号五型電波標定器接続。」
復唱して通信兵はいくつかのトグルスイッチを上げて行く。
「船体知覚素子電力受信。」
「知覚信号入力感。ゲージ上がります。百、四百、千二百、二千三百。全部点灯 緑。」
「機関室及び舵機室の反復信号確認。」
「確認しました。感良好。」
「発令所射撃指揮装置と接続。」
「接続しました、二十燈 全部点灯 緑。」
「電位確認、あ、測定しろ。」
「測定します。二八ミリボルト。」
「動作に問題ないが、少し弱いな。分圧出来てるか。」
「一次側が二個若干動作低いです。一応規格値を満たしていますが、予備に切り換えますか。」
「宜しい。いざというときに問題は少しでも減らしておくべきだ。」
「再測定。三三ミリボルト。」
「十分だね。指揮装置計算機と接続。続いて、」
 今井大尉は矢継ぎ早に次々と機器の接続と確認、動作を号令していった。手練れの通信兵たちは慣れた手つきでてきぱきと行動し、素早い対応を見せる。思念波増幅装置は今、全艦に設置された知覚素子との結合を終えつつある。非常に繊細な人間の頭脳との電気的結合ではあるが、原理的には案外単純で、各部各装置機器類の圧電体知覚素子を電線ケーブルで”能力者”の頭脳と結んでいるだけと説明できる。単に繋げるだけでも”能力者”は知覚素子を中継し網の目状に思念を拡げることができるが、中間に強力な帰還回路を持つ小林式η思念差動増幅装置を噛ませることにより、”能力”のコントロールを大幅に助けている。
 操作卓と四方の壁いっぱいに所狭しと並ぶゲージとランプの輝星は平時にまして圧巻であり、戦闘が始まれば赤色灯に暗く染まる弾道管制室の中で、それはさしづめ人工の星空のようだった。配電盤からの多大な熱は、狭い管制室を満たそうとするが、赤外線輻射こそ、やや感じるけれどかろうじて冷房装置と放熱装置が過ごしやすいレベルに室温を抑えている。開発当初はこの部屋の中で全員大汗をかいて作業をしていたが、伊吹の体力消耗が激しいことが問題視され、非常に多くの真空管からの排熱処理をどうするか技術陣の頭を相当悩ませた。百ミリ以上の分厚い装甲からの熱エネルギー放出は困難だった。そこで内部壁面に冷却水を細い銅管を張り巡らし十二箇所に及ぶ冷気吹き出し装置と装置直下の床面の装甲にスリットを細かく入れるなどの処理を行ってどうにか居住性を上げることに成功したのだった。
 今井は操作卓に両手を突いて正面にある小さなオシロスコープの波をじっと見つめた。波は三つ、短い波長で振幅の大きい矩形波は発令所からの射撃指揮装置計算機の信号、長い波長で振幅の小さなサイン波は艦内各部に取り付けられた知覚素子の圧電体からの信号、短く不規則で振幅の小さな不定形波は藤原准尉の頭脳からの電位変化である。異常が在れば、各波形の乱れから経験値的に発見できる。
と、兵が受話器を取り上げて差し出した。
「今井大尉。中央指揮所の高柳少佐です。」
この忙しいときに。
「あ、第八空所に切り換えてくれ。すぐ戻る。」
 大尉は兵に残りの動作確認を再指示すると、さっとドアの外へ出ると隣室の扉を開け、受話器を上げた。
「替わりました。今井であります。」
『御苦労。砲術長から三番砲塔の砲側照準に不備があるとの連絡があった。測距儀のメカニカルトラブルだ。修理は30分くらいですむと言っているが、すでに敵と触接している現状では戦闘には間に合わんな。』
 威圧的なやや高い声には、砲術斑に何をやっているんだと不満を言わんばかりの言いぐさであった。
『艦長には向こうで説明している。射撃指揮装置はそちらと接続確認した。どうだ、”セ号”は?』
「少佐、こちらは全て準備万端です。」
 ここは簡潔に報告が一番である。
 しかし、相手は只者ではなかった。その言葉の裏に 空気を読んだらしい。なお不機嫌さに怒気を込めて、受話器のスピーカーをビリビリと振るわせて言った。
『キサマァ、又手こずっているんだろう!』
 更に高圧的かつ憎々しげに弾丸のように責めなじってくる。
『手ぬるい!手ぬるいぞ。今や”セ号”は最重要な”兵器”である。”セ号”を人と思うな!!』
 それからやや低く脅迫するように言い放った。
『”セ号”の調整が上手くいかないなら、特B剤をいざとなったら使え、分かってるなっ!』
「少佐。そのようなものを用いずとも絶対に大丈夫であります。」
大尉の声は努めて落ち着いた静かに低い声であったが、特に語尾には腹の底から力を込めて、返答した。しかし相手はそのような正攻法で引き下がるような雰囲気ではない。
『ふん。。貴様、その莫迦みたいな人の良さがいつか命取りになるぞ、それを忘れるな。いいか今や全てを完全制御できるんだ。貴様が最後にやらんなら俺たちがやるだけだからなっ。』
 叩きつけるような受話器を置く音で中央指揮所からの電話は切れた。
 今井は力無く受話器を降ろした。
 感受性が無いなどと、さっきまで笑っていた自分だったが、高柳少佐の言葉の刺に強い悲しみを覚えた。しかし少佐の杞憂は理解できた。誰なんだ、この脆弱なシステムを考えた莫迦は?誰なんだ?こんな他力本願な作戦を考えた奴は。 大体一人の少女とその何の保証も無い”能力”なんてものを頼りに技術力をカバーしようなんて、はなっから正気の沙汰では無いのだ。まして、幼気な少女に血なまぐさい戦場を経験させて平気でいるなんて常軌を逸している。。。
 いや、まて、国中が「一億火の玉だ」とシュプレヒコールしているあたりからして、狂気ではないのか。。。。自らの命を絶つこと、絶滅することまでも美化神格化されて既に先が見えているこの戦争を行使しようとしてる我が帝國は狂人の徒党である。
 もし、我々がこの作戦において第二艦隊を守りきれず、その沖縄突入が不首尾に終われば更なる狂気、「神風特攻」が行われる。内地に残る数百の戦闘機が、若いパイロット達が嬉々として連合軍へ突っ込んで行くのだ。そんなことが許されるのか。出来るのか。させられるのか。

 いや、そんなことはさせられん、絶対に。


 弾頭管制室に何事もなかったように入った大尉は瞑想に入ろうとする伊吹の美しい横顔を見惚れた。綺麗だ、天使のようだ。神よ。

「大尉、今度は艦長です。」
 通信兵から艦内電話の受話器を受け取ると、大尉は軽く咳払いして受け変わったことを告げた。
『これから三十五分後に本艦及び「鞍馬」「富士」の三隻は対空射撃に入る。そちらの加減は。』
「管制室は戦闘準備完了です。装置類は異常なし。本人は平常です。問題はありません。」
『うむ。。。』
 再びちらりと背後の”黒い椅子”に体を弛緩して預けている少女を見やると目と目があった。伊吹は軽く左に首をかしげて、それから決然と姿勢を正しキリッとした眼差しを復活させた。大丈夫、私は大丈夫と眼で応える。
 それと見ると大尉は自信満々に受話器に答えた。
「藤原准尉は気合い十分、心配ありません。次の迎撃も必ず彼女は成功させます、艦長。」
『そうか。。。』
 ややあって、静かにそして厳粛に森下は言った。
『藤原准尉にあー、いや、伊吹君に、我ら将兵九千の命を預けたこと』
 ここで 区切ると更に語気を強めた。
『そして、我々は、必ず「君 の 為 に」 操艦に全力を尽くすことを。。。。。 伝言して欲しい。以上だ。』
 大尉は胸に熱いものが込み上げてくるのをどうにも止めることが出来なかった。
「艦長。。。。。。。。了解しました。」
 電話の内容は、三メートルと離れていない伊吹にも十分聞こえた。
「伊吹君、艦長から、」
 さっと軽く左手のひらを挙げそれを遮って伊吹は明朗に答えた。
「聞こえておりました。大丈夫です、大尉。」
 伊吹は短くしかし決然とそう言うと頭を垂れて、また深い瞑想に入った。
 想念を回らすと様々な姿が脳裏に浮かんでくる。発令所の電気信号が網膜で弾けて何かのパターンを示し出す。砲塔で機器調整に余念がない射撃手、何か怒鳴っている砲術長と若い水兵。操舵室で舵を握る水兵。その横で機器の点検に余念がない操舵長。機関室の轟音、機関員の汗、灼熱の缶室で缶圧に気を配る檜山機関長。艦の上部に思念を向けると艦橋内部で煙草を吹かす森下艦長をはじめですらりと長身男前で豪放磊落な渡邉中佐や大柄で広い恰幅の脇田中佐も見えた。そして更に艦橋から外に想念を回らすと深い緑がかった灰鉛色のうねりと飛沫の吹き上がる艦首が見えた。時折、艦首甲板を舐める海水が自分の体を浄めてくれるような清々しさを感じ、アンカーホールやホースパイプから吹き上げる飛沫に濃い虹が架かるとその美しさに自らを見惚れてしまった。
そう今、彼女は大型対空巡洋艦「伊吹」になった。


 第八護衛艦隊は各個単独行動となり、大型対空巡三隻のみが次第に速力を増してゆく。暗い海上には波浪による飛沫に加えてぽつりぽつりと大粒の雨が落ちて、開いているハッチからやや弱まったものの強風で吹き込んで羅針艦橋の中まで濡らした。その上には防空指揮所があるが、数名の見張員が居るのみで実際砲撃になれば、そのブラストのすさまじさで圧死してしまうから、彼らは羅針艦橋内に逃げ込むしかほかない。戦艦「大和」座乗の頃は、水雷屋上がりの森下は艦橋トップの防空指揮所で操艦指揮を執ったが、この「伊吹」ではまだ経験していない。六十七サンチ重高角砲は初速が速いこともあり、砲身命数が短く、またその砲弾も各砲塔毎九十発と非常に少なかった。もし、弾を撃ち尽くせば当然、敵機はその牙を直接本艦に向けてくるはずだから、その時全三十六門の長十サンチ高角砲の出番となる。そうなれば防空指揮所が彼の仕事場になるのだ。できればそれは避けたい事態であった。第一波は各砲塔二発づつで連合軍の編隊を消し去ることが出来た。残弾はある、砲撃はまだまだやれる。
「我が軍の偵察機よりの連合軍の機動部隊、戦艦部隊の情報です。」
 台湾から来た陸軍の偵察機からのものであった。
「沖縄西東経度北緯度分敵機動部隊及び戦艦部隊の大艦隊を発見。機動部隊空母十二 巡洋艦十八その他艦艇多数それの西に十浬離れ戦艦十五その他艦艇多数。いずれも速力二十二ノットで東に向かっているとのこと。以上」
 艦橋内は深い緊張感に溢れた。連合軍の物量作戦の凄さ、圧倒的であり、本当にこれで勝ち目があるのかどうか、誰しも疑問の余地はなかった。
しかし、一人、「凄いな!いや、凄い!」渡邉副長が明るく感嘆の声を上げた。
沖縄本島を放っておいて、我々特攻部隊を撃滅せんと、まー、力入ってるねぇ。」
「貴様、あまり褒めると後からコワイ思いするぞ。」
 脇田が真面目な顔でたしなめるが、渡邉はそんなことがあるかと言わんばかりに高笑いした。
「ふ、コワイものって日吉の山猿では無いのか、ん?」
 続けて
「敵もあっぱれ、されど我はもっとあっぱれ。見よ!!この堂々たる六万トンの雄姿三杯をっ」
 渡邉は、そういうと左舷見張所におもむろに出て、ばっと敬礼し、即座に道化じみた動作でさっと腕で空気を切り払った。雨も止んで風も弱まってきたようだ。皆と同じく森下艦長が窓枠に左手肘を突き返した手のひらをあごに当てて軽く口を開けて笑って見ていた。田舎の芝居小屋で高座でも見ている塩梅だ。
「我らの前に敵無し!ははは!」
 渡邉中佐のカラ元気も、あまり根拠があるものとは想われないが、確かに『伊吹」型三隻の航進は堂々たるものだった。そして雲が徐々に高くなり、ほんの少し明るくなる兆しを見せ始めた海上を、遠目に見れば滑るように仲良く走って行く。 分離した第十八>駆逐艦隊はまだ我々を追いすがって追従しているようすで、段々離れつつも未だ視界に見えている。
 渡邉はまた愉快そうに言った。
「沖野の奴、悔しがってるだろうなぁ。」
 渡邉を追って見張所に出てきた脇田が返す。
「顔に表さないからな、まぁ、あいつのことだ、冷静に受け止めてるだろう。」
 その「満月」はうねりに見え隠れしつつ、まるで停まっているようにも見える。「伊吹」の速力は既に三十五ノット以上は出ていただろう。
見張員が叫ぶ。
「左舷、第二艦隊見ユ!」
 双眼鏡で覗くとこれまた堂々たる大戦艦「大和」がしずしずと護衛を従えて進んでいる。「伊吹」のスマートな印象に比べ、古武士のような泰然とした風格は正に伝統的戦艦の体を成している。しなやかなシアーを描く甲板、バランス良く配置された砲列、日本の古城を思わせる近代的な上構。どこをどう取っても素晴らしい芸術的な姿の、「戦いの権化」である。その四十六サンチ三連装砲は今日においても艦対艦の戦いでは、何者にも追従させぬ恐るべき兵器であった。しかし、航空機が主役となった現代においては大艦巨砲主義は時代遅れと言われてしまった。彼女は、同型艦が無く、ただ帝国聯合艦隊のシンボルとして唯一無二の孤独な存在だった。航空機威力全盛で大艦巨砲主義は脆くも既に崩れて久しく、今や戦艦が戦艦たる時代は過ぎ去っている。そして今、特攻の魁として沖縄に死地を求めて突入しようとするその姿を誰しも我を忘れて感慨深く眺めていた。


彼方からの閃光 #2*1 - 縹渺舎