〜彼方からの閃光〜#19

 反転後ほどなく、前後が入れ替わって後続する<鞍馬>の艦橋信号所からチカチカとまばゆい光が点滅した。その発光信号が知らせてきた<鞍馬>電探による敵艦隊位置測定結果は、案に相違して敵艦隊がいったん北上した後再び西進し更に南下していることを示していた。更に敵艦隊は二分され第八護衛戦隊を追跡している小部隊が居ることも分かった。これは巡洋艦クラス以下十隻ほどで移動速度から高速艦艇群であると思われた。ほぼ間違いなく彼らは我々を追跡しているのだ。敵本隊はそのまま第二艦隊を追っているが、足の速い第二艦隊にどの程度肉薄できるのか、傍目で見ても連合軍側は追従できるようには思えなかった。
 いまや森下に変わって戦隊を率いねばならなくなった次席艦隊責任者である柳田参謀長だったが、結局のところ確たる意見は彼にも無くて、ただ、<氷川丸>護衛の為合流をするしか今は判断が付かなかった。おりしも戦闘終了後から再び無線封鎖をしている第二艦隊とは連絡が取れなくなっている。連合艦隊司令部には戦隊司令の命令権委譲を暗号文電信したものの、返答は今のところ無い。
 二〇分ほど航進南下するうちに右舷後方、黄昏れる西南の水平線に黒いシルエットとなって六つの黒い艦影が現れた。それは白波を蹴立てて急速に接近し影法師は直線的なシルエットではあるが、なかなか頼もしい戦闘艦に見えた。第二艦隊の後詰めに出向いていた佐藤艦長臨時指揮官となって率いていった第一〇駆逐艦隊の雑木林(<松>型は各艦が樹木名に成っていたのでそう呼ばれた)各艦だった。そのうちの五隻は、速やかに二隻の大型艦の周囲に展開し、<新月><満月>を前後に散開し上空から見ると綺麗な輪形陣を形成していった。第三警戒序列は対潜陣形である。ただ一隻だけが、編成には加わらずそのまま艦隊後方を高速のまま走りすぎてゆく。彼女<梨>は沖永良部島沖で落伍し帰投中の<富士>の護衛に向かっていった。
 <伊吹>の艦橋からそれらの駆逐艦が配置に付くのを確認すると直ちに渡邉は<柳>を電信で呼び出し、報告を求めた。敵に傍受されているのは分かっているが取り立てて今更隠し立てしても仕方がない。返電によれば、まず彼らは第二艦隊から命じられて一八〇度転針しちょうど第二艦隊と第八護衛戦隊の中間に来たところで、水平線上遙かに<伊吹><鞍馬>が敵艦隊と砲戦を始めたのを電探で知った。そこで敵艦隊正面に肉薄し、彼らが<伊吹>に応戦しようと東に変針したのを見て頃合をはかって射程三万メートルを誇る酸素魚雷二四本を一斉に放ったのだった。敵も駆逐艦多数がこちらに立ち向かってきて軽く砲戦状態になったが、並んで広がってくる雷跡にたちまち大混乱を来した。回避しようと急速転舵した敵艦たちを尻目に煙幕を展開、そのまま会合地点を目指したとのことだった。魚雷攻撃による戦果確認はできなかったが、佐藤艦長の報告は控えめに「無戦果」と報告した。
 長い電信による報告を一通り聴くと柳田は本来の駆逐艦隊司令である駆逐艦<新月>の沖野艦長司令を呼び出し、引き続き全駆逐艦の指揮を命じた。
「さて、副長、<氷川丸>護衛への電令作を今のうちに見ておこうと思う。」
「参謀長がご覧になるだけでも良いとは思いますが。」
「この後の航海がどのようになるのか。もう次ぎはないだろう。付き添いで名ばかりの参謀長である私としては、君には見ておいて欲しいのだ。」
渡邉はそれ以上反駁せず、艦首の先に広がる赤い海原を見つめた。艦首トリムは相変わらず下がったままだが、ステム先端において海面から2メートルくらい程度には復元できていた。
「副長。航海速度が三軸全力二三ノットまで回復しています。機関長に感謝だね。」
 脇田が機関司令室からの艦内電話をとりながら声を掛けてきたのに渡邉は深くうなずいた。一ノットでも二ノットでも甚大な努力による小さな変化は時にして生死を分ける要素になる。
しかし前トリムとなって<伊吹>の艦首は相変わらず頻繁にガブって波に洗われていた。排水能力はもう既にいっぱいである。先ほどの砲戦による至近弾で左舷前部フィンスタビライザーも破壊されていたこともわかり、事実上、前部左右ともに使用できないから艦の安定度も大分落ちている。ふと先ほど被弾し落伍した<富士>を思い出した。無事戻ってくれていればよいが。
「副長、最前から敵潜水艦の交信を傍受しているそうだけど主砲弾を対潜弾に換えようか?」
 第二砲塔から戻ってきた那須高射長が頭の包帯を直しながら意見を言った。
「そうだね、高射長。とりあえず前部砲塔だけは対潜弾へ換えておこうか。まだ艦船や航空攻撃の恐れもあるし後部三,四番砲塔は通常のままで。」
「了解。」
軽く敬礼すると那須は再び第二砲塔へとハッチをくぐっていった。
その姿をちらりと見送り深くため息をついてから、渡邉は柳田参謀長に向き直った。
「いずれにせよ、時間はありません。参謀長、艦長室へ行きましょうか。」
二人が艦橋下部の艦長室に降りていった後、再び戦闘応急食が配られてきた。夕飯であった。もう何十時間もの緊張と恐怖の勤務で疲れた若い兵・士官達には、食事であれ、ほんのひとときの安らぎが今は大切な時間だった。自分が本来いつの当直だったのか、覚えているものは一人もいなかった。暗くなってきても艦内どこもかしこも灯火管制で明かりが付けられない。艦長も倒れ副長たちが降りて普段から物静かな脇田以外幹部がいない暮れなずむ夕焼けに染まった羅信艦橋は、兵員・士官が十名は居るのに妙に空虚で静かであった。糧食は乾パンだったが薬罐に熱した牛乳も付けてくれていた。
「右舷 島影 方位090距離5000!。」
冷たい風が再び身を切るようになった右舷見張所で残照に輝く小さな島影を眺めながら福井はそう叫んで報告した。「右舷島影方位090距離5000ようそろー」艦橋内でそれが復唱される。と、いきなり目の前に乾パンが現れた。夢中で水平線を見つめていたため配食に気が付かない様子に、後ろから今井が配給のそれを差し出してくれたのだった。
「ありがとうございます、大尉。」
「今のうちに食べた方がよい。今夜は長いよ。」
そう言って今井は微笑んで、自分も堅い乾パンをかりかりとほおばってコップの牛乳をぐびりとやった。配給されたばかりのそれはけっこう暖かみがあって、大分濡れて冷たくなった体にほのかな熱を与えてくれた。我に返ると体のあちこちが打ち身で痛い。そして断続的に眠気も襲ってくる。福井は牛乳をもう一口すると首を回して方を上げ下げして眠気を振り切ろうとした。ふと時計を見るとさきほどの砲戦終了からまだ一時間分ほどしか立っていないだった。
「今日は長いな。」
そうこう想いつつ見張を続けているうちに、艦橋に副長と参謀長が戻ってきて、直ぐにあれこれと指示が飛びにわかに艦橋は生き生きと忙しくなった。
太陽は完全に水平線に没し夕闇は更に深く忍び寄ってきた頃、<伊吹>及び戦隊各艦は思い思いにやがて面舵三〇を取って、島影・硫黄鳥島を背後に見ながら変針。艦隊はいったんバラバラになった編成をようやく取り戻して更に程なく、前方にぼんやり輝く赤く輝く赤十字の識別表示灯、灯火と白い船体に二つの大きな赤十字、まだいくらか明るい藍色の海上に浮かび上がる全身を取り巻く緑のラインも鮮やかな大型の客船が現れた。誰が見ても見間違えようのない船である。それでも一応敵味方識別のため旗流信号のやりとりを行う必要があった。識別が終わると最後に相手船から「WELCOME」と信号される。聞くところによると商船時代からの乗組員が軍属として病院船を操艦しているという。そんなシンプルで気の利いた信号に<伊吹>たちには軍船とのやりとりとは叉違う何か柔らかいものを感じた。
18時55分 第八護衛戦隊は沖永良部島西岸沖30kmにて病院船<氷川丸>に合流した。艦隊は氷川丸を取り囲んで対潜対空監視に余念無く彼女の速力に合わせ速力十八ノットでしずしずと南下してゆくのだった。


 先ほどの砲撃戦で森下が担ぎ込まれた時、数ある戦闘艦でもこと広さは一二を争うほどの<伊吹>の医務室(それは両舷に第一第二とある)だったが、相次ぐ戦闘による負傷者のために手当をするスペースを確保するのがやっとで、開いているベッドは全く無かった。そして収容しきれない負傷者は相変わらず通路や近隣の倉庫もそれに満ちていた。
 そんな中へ血だらけに負傷し気絶した艦長が現れるとその姿を見て、まだ正気を失っていない者誰もが自分の痛みを忘れて自分のベッドを使ってくれと軍医長に嘆願した。
 伊吹は、担架に担がれてきたその森下を見て胸が張り裂けんばかりに驚き悲しんだ。両目に涙が溢れ出て止まらなくて、森下に駆け寄って何度も「艦長艦長」と呼んだ。今井大尉とともに自分を血なまぐさい戦いの最先鋒から解き放ってくれたのは他ならぬ森下艦長だった。
 数時間前、あの弾道管制所を封印し伊吹はもう二度と戦いに加わらないとその時堅く誓った。しかし誰もが経験したことのない非情な殺戮の現場を彼女は忘れ去ることは出来なかった。そのためにあるわけではない自分の能力を鬱々と疎ましく思い、ただ今は目の前にある負傷者の手当と看護を淡々とこなして気を紛らわせていた。
 しかし、その作業をするにつれ再び「ヤラネバヤラレル」とい今井の日頃言っていたフレーズが脳裏によみがえるのだ。血だらけの兵士たちが増えるごとに再び伊吹にはやるせない気持ちが悔恨の残滓として鬱積しつつあった。
 森下を担当すべしと軍医長に言われて、こうやって彼を甲斐甲斐しく看護していると、ますます様々な葛藤が蘇り彼女はやるせない思いでいっぱいだった。聞くところによると敵艦隊と陽動のために砲撃戦を望んだと言うことだが、有る意味自殺行為とも思えるそのような行為をせねばならない理由が、結局のところ本来の戦闘能力を失ってしまった<伊吹>の対空巡洋艦としての役割が自らを囮としてしか活かせないようになっているのだとしたらば、それはやっぱり伊吹の戦闘不参加によることが原因なのだ。ベッドに横たわる森下の物言わぬ顔を見ながら伊吹は、そんな深い自責の念に駆られた。
 森下には呉に自分のような子供が居ると話していた。そう言えば伊吹の死んだ父親も丁度、森下と同世代だ。死んだ父を思い出した。資産家であったが慎ましやかで物静かな父は良く貿易取引のため横浜へ伊吹を連れて行ってくれた。大桟橋の帝国ホテルレストランで貿易商と商談しながら食事をする父に付いていって一緒にフレンチの食事をしたこと、家族でホテルニューグランド屋上から眺めるサンフランシスコ航路大型客船<浅間丸>を眺めたことなど、まだ数年前までの想い出とは思えない。森下の手を両手で包むように握り、艦長が早く良くなるようにと伊吹は念じた。
 ふと伊吹は我に返った。そして横たわる森下の額から氷袋を交換しようとそれをハンガーからはずそうとした時、彼女は彼が軽く口を動かしたのを見逃さなかった。
「軍医長!艦長が!」
するとひょっとしたら思念波が伝わったのかも知れない、伊吹は小躍りして軍医長を呼んだ。周囲の人間も何事かと注目している。
呼ばれた新実は疲労もみせずかつかつと早足に森下の寝ているベッドへ歩みより、包帯で頭を巻いた森下の瞼を軽く持ち上げた。瞳孔が開きぎみになっている。見えていない様子だった。腕の脈を計る。心拍に異常はない。
「伊吹君、水を」
伊吹は直ぐに水筒の水を小さな茶碗に入れて用意する。すると森下の顔が引きつるように動くとゆっくりとその目がしばたいた。そしてその口が小さく言葉をつぶやいた。
「艦を」
「無事です。砲撃戦は既に終わり退避しているようです。これを飲まれますか?」
意識が戻ったようすを見て新実が返事をした。そして伊吹から水の入った茶碗を受け取ると森下にそれを飲むように勧めた。
森下は目を再びつむりうなずいた。新実は茶碗を森下の唇に付けさせると森下はごくりと二口ほどそれを飲み込んだ。そして一息ついた後、苦渋の顔を現しながら言った。
「副長を」
新実は脇にいる伊吹に目配せをした。伊吹は直ぐに艦内電話へ走った。
程なく、渡邉と柳田参謀長が現れた。
しかしちょうど二人が現れた時、森下は再び昏睡して声を掛けても再び反応することはなかった。
「か、艦長!!」
渡邉はぎょっとして小さく鋭く叫んだ。
「副長、大丈夫だよ。また、昏睡状態に入ったようだ。命に別状は無い。ただ視力が不味いことになっているかもしれん。」
軍医長がため息をつきつつ、そう渡邉を慰めた。
「副長、なにか疲れを取る薬でも処方しようか?」
そういうと新実はポケットからひょいと劇薬と書かれたラベルの小瓶を取り出した。
「これを好きなだけどうぞ。」
渡邉はいぶかしげにそれをラッパ飲みするとやっぱりウヰスキーだった。一口だけ含んだ。濃厚な香りが頭脳を刺激する。
「もうけっこう、これは効き目がありますな。」
「参謀長もやられるか」
「いや、私はいいよ。」
柳田は軽く右手を広げてまったをかけて返した。
「お二人とも艦長のことは私にまかせて。それよりか、本艦は無事帰投できるんだろうね。」
「先生、当たり前でしょう。艦のことは我々に任せてください。」
「しかし、相変わらず艦は内地に向かっていないようだが?」
「我々はまだ沖縄へ向かわねばならないのです。」
「ああ、旅の途中だったのか。さてはて、横に病院船が来ているが、できれば重い傷病兵は移乗できないかな。」
「何名ほど降りますか?」
「両舷の臨時治療室に百二十名ほど三途の川を渡りかけている者が居る。もちろん助かる前提の者だがね。」
最後のセンテンスは小さく小さく囁いた。
「検討してみます。」
突然、天井の高声器がガリガリと鳴りくぐもった声で「左舷雷跡接近!!全艦衝撃に備えっ!副長艦橋へ!」を数回繰り返した。更にすぐ艦内電話の呼び鈴が鳴る。
伊吹が取りすがった。相手に出たのは今井だった。彼女の胸は一瞬高鳴ったが、落ち着いて応対した。
「副長、参謀長!敵潜ですっ!艦橋へ」
顔面を引きつらせてお互いを見合うと即座、渡邉、柳田両名はドアハッチから駆け出て行った。
それを見送りつつ、背筋を伸ばして緊張したままの伊吹に新実は仕方がないと言った感じで肩をすくめた。
「一難去ってまた一難。」
つぶやく新実の顔を見ていて伊吹は決心した。相手が単なる兵器・機械なら。
「魚雷なら‥‥ 先生!私、上甲板へ上がっても良いでしょうか?」
「ん?どうするつもりだ。」
「魚雷なら‥。今、私ならなんとかできるかもしれません。お願いします!軍医長。」
新実は最初きょとんとして何のことだか理解できないようだったが、やがて目線を横にずらして考え込むように床をきょろきょろと見回したが再びきっと見上げて伊吹の瞳をきつく見返した。
「よし、行ってみたまえ。うん、頑張って。」
聞くと伊吹はぱっと敬礼し、スカートを翻して、駆けだしていった。暗い艦内電灯の点る通路を駆け、ラッタルを駆け上がって息を切らして暗い艦首甲板へ上がる。戦闘中で舷側の手摺りが倒されて、コーミングの縁に立つことはちょっと怖かったが、最寄りのボラードの間に立って揺れる艦に体をいざと成ったらすがれる場所に立ち、すっとまず息を整えた。呼吸が整うと伊吹は目を閉じて精神を統一し、心を澄ませて海上にゆっくりと思念波を解き放った。暗い波間にすぐに何かが固まりのようにこちらへ向かってくるのを感じる。心を研ぎ澄まし集中するととそれは最低でも二〇本ほどもある魚雷が<伊吹>を包み込むように近づいてきているのだと判別できた。雷跡を回避すべく艦は左回頭に舵を切っているらしく未だ変針こそしないが、右に傾いて引っ張られるような加速度を感じる。どう考えても回避は不可能だろう。
と前部第一第二主砲塔がゆっくりと回り出した。砲身が俯角だ。恐らく対潜弾を撃つのだ。更に振り返ると艦橋の窓は防護板が上げられている。伊吹は渡邉副長へ精神感応を使って語りかけた。伝わって!お願い!
『副長、私にやらせてください。雷撃をそらせます。』
伊吹の精神感応は一方通行なので返事を聞くことが出来ない。しかし、きっと理解してくれる。と思っていると背後の第二砲塔の測距儀あたりからごもごもしながら突然怒鳴り声が聞こえた。
『まかせたっ!』
那須少佐の声だ。甲板作業用に測距儀の腕に埋め込まれた高声器からだった。
 きっぱりとうなずいて伊吹は体をゆっくりと反らし、両手を左右に広げた。暮れなずむ藍色の海の上、白いセーラー服がひらひらと風に翻り腰のベルトに彫られた菊の紋章が銀色に鈍く光る。伊吹の緑がかった黒髪が風の形に大きく揺れる。やがてうっすらぼんやりと彼女の両手が光り出しそれはやがて彼女を包んでいった。赤い<伊吹>の船体の上でそれは神々しく幻のように美しい情景だった。
 艦橋で渡邉たちはその様子を見ていた。数秒後、見張員が叫んだ。
「左舷 雷跡消えました!ぜ、全部です。」
確認した旨を数人が復唱する。
「水測室からです。魚雷音消えました。感 敵潜数5 方位280距離6000」
「<杉>から水上電探で潜望鏡を捉えたと報告です。」
「信号せよ。”<杉><桑><満月>直ちに急行 敵潜水艦掃討せよ 2キロ識別灯点灯すべし”」
 獲物だ。各駆逐艦は輪形陣から離れて西南へと走り出すだろう、さぞかし喜んで。
「伝令!藤原准尉に艦橋に来るように伝えろ!至急。」
渡邉はそう言って左舷見張所に駆け出てから上甲板に居る伊吹に向かって怒鳴った。
「中に入れっ!撃つぞっ!」
伊吹が駆けてシェルター甲板へ入るのを確認する。
「高射長、一番二番主砲左舷敵潜水艦の潜む洋上へ。方位280距離6500。3斉射用意。」
「射撃要素は?」
「めくら撃ちさ。威嚇だから。駆逐艦に当てないでくれよ。」
「おっしゃ!」
 駆逐艦が識別灯を点す。光の光点が揺らめきながら非常に速い速度で水平線へと向かってゆく。
「敵潜の交信受信。両舷に展開してます。」
「ううむ。侮られていやがる。きゃつら、舐めてるな。」
渡邉は慶賀野に毒ついた。
「主砲発射。」
『てーっ!』
夜の洋上に突如吹き上がる紅蓮の炎と巨大な怪物の咆哮にも思える砲声が鳴り響いた。同時に後続する<鞍馬>からも砲撃が開始された。
目に見える赤い火の玉が遥か洋上へ飛んでゆくとそれは意外なほど高い宙で小さく爆発し花火のように散弾のようなものが飛び散ってゆく。対潜弾は直径800メートルの海域に超小型爆雷を二百個ほど、ばらまかれるようになっている。小型爆雷は二重構造で海面に叩きつけられると外殻が外れて内部の本体が海中へ落ちてゆく仕組みだ。通常の爆雷に比べれば一個あたりの炸薬量は半分以下だったが、高性能火薬の採用で破壊力は十分である。やがて撃ち込まれた海域全面に暗闇に輝く不気味なオレンジ色のふくらみが輝いて見えた。水中で爆発しているのだ。
少しずつ位置を変えて立て続けに3斉射。そうこう行っているうちに伊吹が艦橋に上がってきた。
「おお!准尉!良くやった!!」「准尉!ありがとう!!」
艦橋の皆が口々に褒め称えた。伊吹はその声を聞いて思わず涙ぐんでしまった。
「君があそこで魚雷をなんとかしなかれば、我々は今頃撃沈されていただろう。ありがとう。」
渡邉までわざわざ彼女の前に来て伊吹の小さな手を握りしめて感謝を伝えた。そこへ支塔の後ろから今井が現れて、伊吹の姿を見ると深く何度もうなずいた。今井大尉の胸に今すぐ飛び込みたい衝動を伊吹はなんとか押しとどめる。にっこり微笑んでから今井は軽く敬礼すると再びむこうへ消えた。
「さぁ。どうした。首尾はいかん? おい、右舷もしっかり見張れよ。」
渡邉はそう言いながら防護板のスリットを覗いたあと、問題がなさそうなのでそれから前後左右の数枚のそれを下げさせた。
「砲撃中止。」「砲撃中止 よーそろー。」
双眼鏡で観測すると駆逐艦たちがしきりに爆雷攻撃をしているようすだ。くぐもった爆発音が断続的に耳に聞こえる。
「水測室で爆発音が酷くて状況がわからないようです。」
慶賀野が伝える。それを聞いてから渡邉は
「しかし、なんでまた、やつらこんな艦隊に近くでよって雷撃できたんだ。」
「分かりませんが、これはあくまで推論として彼らは我々の侵攻する航路に既に潜んでいたのではないかと思います。時が来たと急速浮上、雷撃を仕掛けてきたのでしょう。」
と脇田が自分の考えを語っている時だった。再び大きな爆発音が聞こえた。
「副長っ!<鞍馬>がっ!」
「なにっ!?」
右舷の見張所に飛び出ると<鞍馬>の左舷側で猛烈な爆発が数度起こった。
「なんだ、何が起こったんだ!」
「敵潜攻撃か?」
「どこから攻撃してくるんだ。」