第5番

春、光射すかのごとく崇高な音楽!

吉松隆シベリウスの4,5,6,7がかなりお好みのようで、あちこちの書き物に記されております。確かに、彼の交響曲にもシベリウスのようなどこか厭世的なアトモスフィアを感じます。語法は全然違っているのに、不思議なものです。シベリウスは北欧、吉松はアイヌからの「北の大地」的なつながりでしかないのだろうけど。
シベリウスのこれら一連、fismajar的には断然この5番が最大恍惚音楽!
1楽章の雄大な自然を思わせる幕開き、続く動きのある複雑なメロディーとリズム(このリズムがシベリウスをイージーに聴かせられない要素)、読ませない展開をしてゆくのが恍惚!続くアレグロの部分はどこか舞曲的でチャーミング、花園のような空間を繰り広げてゆきます。走り去るようなクライマックスで終わると次の2楽章は、朴訥として愛らしいインテルメッツェオ、フィナーレの3楽章は弦の激しい動きで始まりそれがある一点へと次第に集中してゆき混沌とするなか突如ホルンのおおらかで歓喜に満ちたインターバルのアルペジオが鳴り響きます。ここが来るときもう鳥肌がたつたつ!!!こうこつ〓〓!次いで木管群の優雅な舞曲が重なり調性が変ホ長調からハ長調へ転調しまた恍惚が絶頂!!ああ、生きてて良かったぁ〓!ここのところが、マーラーの9番の1楽章の提示部の2回目の第1主題の回帰で変ホ長調からニ長調でオーボエが入ってくるときの恍惚感に似ていて、こういった部分がfismajarは大好きなのだ。
この3楽章、以前にも少し触れたけどストロベリー・スウィッチ・ブレードの「二人のイエスタディ」でもろにシンセホルンで(この音はOB〓Xかな?)カヴァーされていておしゃれですた。今でも座右の音楽なのだ。はなしズレた。。
ラスト、もう混沌として崩壊したリズム感の上に巨大な音の伽藍が築かれて眩いばかりの輝きを煌かせつつ堂々たる大団円を迎え、決然たるオーケストラのトゥッティ6回の刻みでFINE.ああああああ、恍惚!

洗練され磨き上げた感のカラヤンBPO、まずはこれを聞いて!