今度は、製作記#2艦首艦尾及舷側のディティール - 縹渺舎で言及した艦尾の再考。
ホワイトエンサインのHんぐには、スタンウォークがついているので、これをどうするか考えていて気がついたこと。
まずは下記を御覧頂きたく。
Fig1は以前掲げたもの。
タイガーは1916年11月10日から1917年1月29日までロサイスで入渠している。このときの写真のスケッチだが、御覧のとおり、アンカーがついているがスタンウォークはその名残があるだけ。
これからみると、製作記#2艦首艦尾及舷側のディティール - 縹渺舎で述べているようにアンカーを付けるのが正解かと思ったが、よーく見ているとおかしな事に気がついた。
このアンカーとスタンウォークの位置関係を見てみると、スタンウォークの名残と思われる薄いリブのラインを艦尾へ持ってくるとアンカーにあったってしまう。ということは、アンカーとスタンウォークは同時にはついていなかったような気がするのだ。
更に目を皿にして観察していると、「見えた。」
艦尾の鋼板は比較的傷だらけなのにかかわらず、アンカーのホースパイプはあまり傷が無くその下部の喫水線部分も塗装が新しいらしくアンカーによる傷が全く見られない。
ここで視点を変えて、Fig2は1914年の写真のスケッチ。艦尾をよく見るとスタンウォークはついているが、アンカーは見あたらない。
次に1915年の煙突に3本縞が入っていた頃の写真からのスケッチ。スタンウォークは有るが、手摺が見えないような気がする。内火艇のようなものが接舷しているのでアンカーはよく分からないの。
Fig3は1916年とコメントされているもので、これもロサイスの写真のような気がするのだが、カナリ汚れているようなので、入渠直前ではないかと。ここでは、不鮮明ながらスタンウォークの存在がわかる。
最後のFig5は、もっとも鮮明な1915−1917とされるこれもロサイスの写真かと思うが、ここには明らかにスタンウォークがついていてステーも見える。この艦尾は惜しいことに画面が切れていてその先が見えない。
さてさて、ジャットランド開戦時にはどういう状態だったのか?
わらし的結論は、
- アンカーはついていなかった。
- スタンウォークはあったが、その手摺は無かった。
としたい。
というのは、タイガーはドーッガーバンク海戦以来、
- 1915年12月にタインに入渠
- 1916年5月ジャットランド海戦
- 同年 6月ロサイスにて修理(入渠?)
- 同年11月から1917年1月までロサイスで入渠改装
となっていることから、もし大がかりなアンカーとそのホースパイプの改造を行うなら、上記写真からの類推と合わせてどう考えてもアンカーは1916年12月の入渠改装時ではないかと思うのだ。
どうでっしゃろ?