彼方からの閃光#6((9/30改定))

 冷たい海水に濡れ赤い船体を艶やかに晒しながら三隻の巡洋艦は、まだなお荒れている海上を疾駆する。陣形は隊列回頭後、順番が入れ替わり各艦800mほどの間隔で旗艦伊吹を殿に「鞍馬」「富士」と並んでいる。いまや砲撃開始を告げられた彼女たちは、長大な砲身を振りかざし、まるで貪欲に獲物を追うライオンの咆哮のように、次々と強烈な閃光と雷鳴のような砲撃音を遙か彼方まで響かせ、もうもうたる砲煙を吹き流し猛烈な速度でそれを振り払って行く。
 と吹き上げる波飛沫が舞ったかと想うと伊吹の艦首は、実にまっすぐに高波のその深い懐へ突き刺さり、いっとき、何もかもを食いつぶそうとする凶悪で巨大な波浪に飲み込まれ、右舷を指して並ぶ四本の砲身と上構だけが残ったように見えたが、十数秒もするとフェアリーダーに燦然と輝く菊花紋章をぎらりとさせて、ついで、水線下のバルバスバウを拳のように大きく突き出して押し寄せる波をどうどうと覆した。艦体は大量の海水を掬い上げて、それは瀑布のように左右の舷側全体を洗い落とす。切り裂かれた波飛沫は雄大で神々しい白いショールとなって、一瞬伊吹にまとわりつき、あとは悠々と後方へと流され、たなびいた。
 今、海上を華麗に疾走する伊吹は、その体全体に常人の誰も味わえない不思議な陶酔感を味わっていたが、今開始された重高角砲の砲撃はそれをすぐに否定し、我を戻させる。彼女は艦体を震わして、そしてすぐその後に行わなければならない念動力での作業に没頭した。
 一回の斉射で次々と撃たれる伊吹の号砲4発の轟きは、この世の終わりを告げるがごとく空を割らんばかりの絶叫として海上に響き渡り、海面はその強烈な衝撃波で一瞬逆巻いてその高波さえも潰れて押し戻され、熱と風圧が力ずくで海面を叩きのめして海水を煮出し細かな漣の泡を沸き立たせた。伊吹のしなやかな船体は、射撃の度に左舷に横応力が働きぐぐと傾こうとするが、船体の前後左右に展開された動揺制限装置いわゆるフ式スタビライザーのおかげで、その横応力に対抗し踏ん張りをかけるために、プラマイ二度以上に傾くことはなかった。この安定感は砲撃には非常に有意義に働いた。伊吹が斉射するのに呼応して前方に展開する僚艦「鞍馬」「富士」も続々と強烈な砲煙を上げ、どの艦も遠目に見れば砲塔爆発して爆沈もかくやといった趣であった。

 六十七サンチ対空砲弾・改三式通常弾。この二段方式の巨弾は発射数秒後、射程距離に合わせて調程された時限装置により噴進装置が強烈な炎を吹き出し推力を付け加える。噴進は十五秒から二十秒続き、これにより射程を延伸するほか、敵の弾着予測を裏切る効果があった。砲弾は敵編隊の未来予測位置に向けて打ち出された後は、その推力によって命中点まで到達することになるのでその弾道は単純な放物線ではなく、推力行使点から先では用いていわゆる自艦の電探による測的結果に基づいた比例航法*1で計算された。当初設計で本来は電磁波による近接信管を搭載する予定だったが、これが未だテスト中であり、あと少しで完成という間際に、天一号作戦に参加出撃せねばならないことになり、結局間に合わないので従来の時限信管仕様で望むことになっていた。そんなところに、信管を遠隔方法を解決する奇想天外ではあるが、一条の光明が見いだされた。すなわちその解決方法とは、もちろん藤原伊吹の’能力’の存在の発見であり、その利用方法が既に5年も前に海技研で確立されていたことによって急速な開発が進められ実現できたのだ。
 今、伊吹は増幅された思念を、空中に放たれた猛烈に回転する最初の巨弾に乗せていた。改三式砲弾が放たれた直後、彼女は思念をそれに乗せる。思念は伊吹本体から一条の思念糸と呼ばれる物理的コントロールを可能たらしめる脳波束を造り出す。そして伊吹はその強力なテレコキネシスによって砲弾をある程度コントロールすることが出来た。ほんの数十秒だが彼女は今や地上で最も早い飛翔体として、天空を切り裂いてゆく。すぐに立ちこめる雨雲へと飛び込む。分厚い雲の水滴が濡らしてくるが砲弾は、自らの持つ熱でそれを焦がし、もうもうと水蒸気をあげた。と伊吹はいきなり眼前に広がる美しい青空と輝く太陽だけの世界に孤独に置き去りにされた。そこは何も無の空間に想えた。でも網膜に浮かぶ果てしない青天のその美しさに感嘆する間も全く無く、たちまち行く手に敵編隊の無数の青い機体が見えてきた。
 背後で再び三隻の巡洋艦が二回目の射撃を行って非常に遠く小さいが次々と超新星のような爆発的な眩い輝点となって見えた。伊吹はその砲撃の伊吹自身が放った最初の砲弾に軽く思念を分けて再び思念糸をのばす。彼女は、こうして撃たれる毎に自分の分身を一つ、その砲弾群に潜ませておくのだ。
 伊吹の主体である初弾は敵の編隊眼前数キロメートルに迫った。敵編隊はレーダーで既に砲弾を感知したのだろう、急速に大きく散開をはじめている。が、遅い。私はもう、ここまで来ているのだ。彼らは網にかかった小魚だった。青い綺麗な飛行機はドーントレス急降下爆撃機である。懸命に上昇しつつ左右へ蜘蛛の子を散らすように広がってゆく。コンマいくつかの微量な時間単位で伊吹は自分の砲弾の信管を作動させた。慌てることもなくしずしずと。思念波の内側世界は時間を独自に持つ一種の量子系であり、外世界現象に対して相対的に思考時間を引き延ばす効果を持つ。その為、彼女の認識限界ペリフェラルの内側では、彼女が関与する事象と彼女自身の行動さえも感覚時間をコントロールできた。伊吹は信管作動をさせるとすぐに思念を本体に引き揚げて、次の自艦における第二斉射砲弾へ思念を飛ばす。そこから先は前の砲弾が炸裂してどのようになるのかを、次に乗り移った砲弾から眺めることができた。
 ごく限られた僅かな時間ではあるが。初弾は見事に空中で飛翔したまま炸裂した。それに呼応して信管作動時に発信される電波信号に連動して残りの斉射分十一個の砲弾が瞬く間に炸裂し、恐ろしい焼夷弾の奔流は、敵編隊を上下左右から投網のように円錐形に捉え、地獄の業火で透明で清らかな紺碧の空に自らを燃やし尽くして撒き散らし、数十秒光り輝く焼夷弾がぎらぎらと大気に充満して雲海の上に飛び散って行った。
 音こそ聞こえない伊吹には余計と気が滅入る風景であった。恐ろしい爆風にはじけ飛ぶ敵機。次々に機体から噴煙を上げてやがて天高く爆発空中分裂、あるいは翼をもがれて一気に洋上向かって墜ち込んで行く敵機。またはきりもみしながらバランスを崩して雲の中へ消えて行く敵機。いまや傍観者たる伊吹にはただ無情で無言に地獄絵図が広がってゆくの一瞬ずつ見やるしかできない。ただただ心のどこかに深い闇を生じ、焼けるような葛藤を刻み込んで行くしかない。
 しかし伊吹にはそれをゆっくりと眺めている余裕は全く無かった。再び発令所の射撃盤からの敵編隊の距離指示が数値で示される。伊吹は一瞬で解読すると第二斉射弾の信管を作動させて、即座第三斉射弾へ移動した。砲撃はとうざ、これで終了と指示される。全三十六個の改三式弾は絶妙なタイミングで爆発させられて今や雲海の広がる青空には、無数の航空機が静かにちりぢりに燃えて墜落して行くのが見えるだけだった。青空全体は青灰色の煙に覆われていた。三隻の対空巡洋艦によるシステム砲撃は、非常に巧妙に敵編隊が逃げる方向を作りながら追い込んで行くように計算されていた。弾丸一個が造り出す唐傘状の焼夷弾の雨は直径が二キロメーターで前方方向へ三キロメーターというとてつもないものである。これが三次元的に前後左右上下炸裂されて行く。
第三斉射を起爆する炸裂する前の数秒のタイミングで、思念糸を辿って伊吹は再び艦に戻った。伊吹が戻れば、最後の結果は、電探で確認するより方法は無い。
「伊吹君。敵の分離部隊を叩くよ。」
射撃指揮所からの電話を置くと今井大尉が少し高調した声で語りかけてきた。大尉の目は厳しい光を放ち、その額と言わず全身の第二種正装は汗のためびっちりと水を含んでいた。デリケートで余裕のない機器類は、油断すると各部でヒューズが飛び真空管が消えている。そのたびに大尉は自ら装置類の整備を行い、時には筐体の蓋を開けて大量の電線類が溢れるその中へ激暑をものともせずに入り込み、二人の通信兵とその修理に格闘を演じるのである。特に主砲の射撃による振動と衝撃は、一番損傷の確率が高くて、次の斉射になんとかかんとか間に合わせるのは至難なことであったが、今までそれが原因の射撃遅延は起こしていない。装置類を完全に掌握し、ベテラン通信兵二名は彼の薬籠中の者であり、そのチームワークがこの弾道管制室を対外的に安定したものあるいは信用おけるものと認識させているのが事実であった。
伊吹自身はといえば、さほど汗もかくことなく、むしろ冷たい海水に洗われて寒気を若干感じるくらいだった。「黒い椅子」は身を沈めて深い瞑想にはいるのに素晴らしいゆりかごであったし、「銀の冠」は装着感を出来るだけそぐように軽くできている。そう彼女は巡洋艦伊吹として全乗組員に(それは艦長と言えど)かしずかれるものであり、まさしく塔中の姫というべき存在と位置づけた弾道管制室を作り上げた技術者達は、その計画の端々に伊吹が心地よいと感じられるように全てを配慮を細かく計算し、圧電体知覚素子による艦体からの様々な”感覚”にも心地よさを重視した配置を行い、人員配置も神経質なほどに配慮を行った。彼らは親身にただでさえ大きな負担を抱えるであろう伊吹の精神にできるかぎり何も負担が生じないように努力をしていたのである。
「どうぞ。」
大尉の決然たる声に伊吹は短くそう答えると再び思念糸を砲弾にのせて発令所射撃盤からの信号を待った。いまや巡洋艦伊吹と融合した彼女は思念の中で全てを「見る」のである。射撃指揮盤の信号は基本的に数字記号と主砲の発射タイミングの表示というものであり、思念波増幅装置を介して伊吹の閉じられた眼の内側で網膜の裏に、諸元状態の成果と同期指示装置の色違いの四枚の三角形の図形で示される。同期指示装置のくるくると回り続けるそれはシンプルな万華鏡にも似ていて綺麗だった。極めてスムーズに回り続けるそれは、すっと一つに重なり合い射撃の瞬間を伊吹に伝える。完全に一致したとたん、再び伊吹の体を強烈な震動が襲い、軽く眩暈がするが、それに耐えてすぐに伊吹は宙に舞っていた。
第四斉射は弾道が低かった。今度は雷撃機であろう、低空飛行してくるのだ。これは伊吹にとって初めての経験だった。雲の中に滞空する時間はごく僅かで、今度は濃霧の中から敵機の姿を海上近くに見いだした。数は三〇機ほど。笠型陣形で広く散開して今もなお高い波の上に踏ん張って張り付くように飛んでくる。この強風の中、荒れた海面に数十メートルで飛行することは、彼らにとって針の上を裸足で駆けるような必死の飛行であろう。本当の勇者は彼らの中にもたくさんいるのだ。
伊吹は努めて砲弾が水平飛行に近く且つ彼らに接近出来るまで待った。タイミングは極めて微妙でコンマ数秒のタイミングが狂えば散弾の威力は半減するだろう。彼らは急上昇すれば重力によって垂れ下がるだけの焼夷弾流は、その運動には対応出来ない。と第五斉射が行われた。これは今の第四斉射よりやや上空へ弾道を持っている。第六斉射も行われたがこれは広い射角で更に上空へ撃たれた。
伊吹は電探から発令所射撃盤を介して信号される砲撃諸元と敵編隊の距離を見て、視認される敵機の視覚直径を仮想測的ゲージで測った間隔と照らし合わせ、砲弾に付いた簡単なジャイロが下降線を示した瞬間に信管を作動させ次弾へ飛んだ。次弾から見ると既に炸裂した改三式弾は一瞬、層積雲の下側を鮮烈な光芒でしばらく明るく輝かせ、その水蒸気を吹き飛ばして猛烈に膨らみ上げた輝く焼夷弾の無数の輝きで一層大きな光の集合体になった。その焼夷弾は海上へ目がけて雨霰のように降り注ぎ、ばらばらと海面を叩いて湯気を上げて分厚い霧を立ちこめさせる。伊吹はすぐに第二斉射弾、そして第三斉射弾を間髪入れずに起爆させた。雲の中はたちまち光の渦となって爆発の衝撃波が猛烈なスピードで水蒸気を膨らませて、不気味な赤い光芒に染まって暗い海上を照らした。下から起爆したために数値データだけに頼らざるを得ないため、位置が位置であるから伊吹には雷撃機がどうなってしまったのかが判別出来なかった。
『伊吹くんっ!だめだ!逃げられた!』
電探室から思念波増幅装置へ直接成果が送られてきた。雷撃機は速度を落として飛んできた。計算は敵にこそ、いや雷撃隊の指揮官にこそ、大いなる賞賛を与えるべきであろう。攻撃方法を読まれた伊吹達には計算外な事に、アベンジャー雷撃機は焼夷弾流に対し辛抱強く落下を待って上空へ退避を我慢し、突如、水平方向にのみ直進でその速力を全力で逆巻く波に突撃しそれを回避しつつ、前方へ駆け抜けたのだ。全ての改三式弾は無駄なものとなった。ただ天空を焼焦がして、幻想的な有様を示したのみに留まってしまったのだ。それでも敵影は半分以下に減っているのが電探室から信号された。
『雷撃機十一機接近!!こちらへ突撃してきますっ!距離一万七千 方位175』
###砲術長、どうしますか?##
本体に戻った伊吹はすぐに精神遠隔感応で砲術長に尋ねた。アウトレンジ飽和攻撃が失敗すれば、次の手を打たねばならない。もちろん、その手だては予め作戦要領に入っている。どれを選ぶかは、今は砲術長の判断に委ねられていた。
伊吹に問われるより早く、既に受話器を持った川村は弾道管制室へ即答した。
「時間が無い、砲側照準で眼視砲撃する。
管制所、伊吹君へ伝達。
水平射撃各砲分火する。分火は後ろから。追従は任せた。」
分火すれば各砲塔は思いのままに射撃を行うことになるから、伊吹は先ほどの斉射と違い全ての砲弾を起爆させなければならないのだ。それは恐ろしく繊細且つ忙しい作業である。
『よーそろー、各砲塔の発射信号をお忘れなぁく。』
今井大尉の返答は比較的明快で大きいものだった。
付け加えて伊吹からも要求が来た。
###ちょっと早めに戴ければ有り難く想いますの。###
硝煙の匂いが漂う戦場にはあまりに遊離した少女の上品な言葉遣いに、またもや肩をすくめて背筋を震わせてしまった川村だった。
が、実戦では初めての分火水平射撃というのに伊吹も落ち着いているようだ。大丈夫だ、彼女は頼れる。
頭をぶるんぶるんと思い切り振って寒気を追い払うと、川村は自信たっぷりにでっかい声で答えた。
「まかせいっ。」
ついで伝声管に怒鳴る。
「艦長!眼視射撃します。風上に一点艦を立てて下さい。」
『もう立てているよ、これなら砲煙が流れやすいだろう。』
渡邉副長の声だった。自慢げに言っているが、恐らく脇田航海長が舵取りしているに違いない。副長の余裕のわざとらしさに川村は含み笑いが込み上げた。
『前の連中はどうする?』
「艦長は?」
『獅子は常に獲物において全力で当たるそうだ。』
「いわんがや、各艦個別で我が艦は右、「鞍馬」は中央、「富士」は左で」
「各砲各個に分火射撃用意っ!準備でき次第撃てっ!よーそろっ!」
矢継ぎ早に伝令が飛び、各砲塔は今や独立した攻撃システムとして敵影を探した。射撃指揮装置は各砲塔にも予備として働いており、もとより超広角測距儀が今やもっとも働かなくてはならないものとなった。
重高角砲は滑らかに砲塔を回らし全ての砲身を水平線へ構えた。ときおり洋上をてらてらと陽射しを跳ね返す反射光が、焼けて黒ずんだ砲口をシルエットにして周りを包んだ。
川村は射撃指揮装置の椅子を飛び降りると床ハッチからタラップを駆け下りて艦橋へ降りた。艦橋は赤色灯を付けて暗く、比較的明るい射撃指揮装置室内にいた川村は、闇に目が慣れるまで十秒ほど時間が要った。
「砲術長、高角砲も準備しようかぁ」
森下が窓枠に右腕を乗せて、川村の顔を見て言った。
突如、後部砲塔から砲撃の振動が襲った。継いですぐに前部砲塔も射撃を行った。
「わかりました。伝令!高角砲長へ。直ちに対空射撃用意。」
電話機を上げて伝令兵は後部艦橋へ伝える。那須高射長が腕まくりして待っているに違いない。
「艦橋っ!敵機八機撃墜!なお三機接近中。」
と矢継ぎ早に水探室からのスピーカーに叫び声が上がった。
「二時の方向から雷跡2!いや4、いやもっとだ、10以上!!方位015 距離3200」
「なにぃ!」
渡邉がなじるようにスピーカーに怒鳴った。
このまだ高い波浪の中、連合軍の潜水艦はひっそりと待っていたのか?そしてこの波浪の中、危険を顧みず雷撃を行ったのか?
頼みの駆逐艦は居ない。対潜弾に切り換えるのは遅すぎる。
今は、必死の回避行動だけが彼女を救う道であった
脇田が静かにしかし緊張の面持ちで口を開いた。
「調程深度をどうしているか知らないが、この波ではまともなことは考えられんな。とはいえ、奴らなかなかじゃないか。」
にやりとすると脇田は、缶室圧力計を覗いた。十分な圧力だ。しかもまだ余裕もありそうだ。
「電信。「鞍馬」「富士」は各個散開、雷撃を回避後をせよ。」
それまで黙って艦長席に腰掛けていた森下がようやく煙草をもみ消して立ち上がった。
ついで早口にしかし静かに「主砲砲撃中止、砲身係止位置。砲煙防御板降ろせ。」と命令した。
すぐに各砲は沈黙した。それまで暗かった艦橋内は防御板が降ろされて、いきなり、ぱぁーと明るくなった。
森下は足早に右舷見張所に立った。
「秋山操舵長、頼むよ。」
伝声管に羅針艦橋下部の装甲された操舵室から元気よく返事が来る。
『めいっぱいやって下さい。艦長、面白くなってきましたな!』
すぐ返事代わりに
「とーりかじひとじゅう。」
落ち着きはらって森下は大きな声で伝声管に指令した。操舵室で秋山は手にした大きな舵輪をくるくると回した。
「雷跡確認っ!右舷018距離1200。横一列ですっ!」
「舳先まわりましたー「鞍馬」艦尾750。」
「「富士」艦尾にて一本雷跡やり過ごしましたっ、離脱してゆきます。」
「「富士」に電信。内容、直ちに敵機迎撃を続けよ。」
そう指示すると海面をちらりと見やって森下は伝声管に怒鳴った。
「とーりかじ一杯、左赤さんごー 右黒ごじゅう。」
ぐぐぐと右に艦体を傾けて伊吹は更に北へと向かった。今前方に、雷跡は十二本ほど見えた。広い射角だ。どれか一本でも当たればという感じで狙っているのは間違いない。
徐々にその間隔は広がって行き、隊列先頭の「富士」は向かって右翼の魚雷を回避出来てそのまま高速で走り去ろうとしているが、「鞍馬」「伊吹」は完全に包囲されている。
「「鞍馬」正横。距離970。雷跡こちらに7!」
見張員が絶叫する。
「舵正横、両舷一杯!」
惰性を殺さずに舳先を回らしながら伊吹は切り取られたような形のいわゆるトランサムスターンという艦尾に巨大な泡の盛山を吹き上げて、一瞬艦尾を深く海中へ沈めたが、やがて回頭で失った速力を持ち直して再び高速で離脱をはかった。
「おもーかーじふたじゅー!」
「雷跡5、200っ、だ、駄目だぁ!」
見張員は観念したようにうわずった声を上げた。にもかかわらず無情にも更なる問題を高射指揮所からの拡声器が叫んだ。
『敵雷撃機3 距離2200!』
「なにぃ?」
艦橋の全員が一斉に双眼鏡を掲げて洋上を舞う敵機を探した。ふわふわと何かをぶら下げたように見える雷撃機のシルエットが逆光で黒々と見えた。
「右舷及び後部高角砲、射撃開始!魚雷を撃たせるな!」
川村が受話器で指示する。すると即座右舷及び後部の十サンチ高角砲が一斉に火蓋を切った。あいにく南風で数秒ではあるが砲煙は艦橋前方へ立ちこめてしまうのだが、猛烈な弾幕を今止める理由としてはそれは優先順位が低かった。視界不良で確かに操艦に差し障る。しかし森下は意に介さずただ銀の懐中時計を開いて、それを見つめつつ、脳裏に刻んだ自艦位置と潜水艦魚雷の位置、時間を計算する。もう、何も見えずとも全てを見通せる自信ができていた。
「フィンスタビライザー下げ舵収納。とーりかじゼロ五 左赤フタジュウ、右黒三十!」
左右に雷跡が綺麗に伸びて行く。と右舷の一つが炸裂して水柱を吹き上げた。
二本がまっすぐ艦首に向かってくる。だめか?!そう皆が思ったが、一本はかろうじて左舷を数メートルで流れ去り艦尾に達すると水流にぶつかっていきなり大爆発を起こした。もう一本は右舷前方の十五メートルでいきなり波頭から飛び出して空中でトビウオのように一回転し、その後は何も起こらなかった。
と、右舷の「鞍馬」の左舷真ん中にに大きな爆発と巨大な水柱が立った。
「一本どてっぱらにあたったか?!」
双眼鏡で見てみると「鞍馬」の上構は暗い水煙を被りやがてわらわらと応急員達が舷側へ走って行くのが見えた。煙こそしばらく立ちこめていたが、「鞍馬」の速力は決して衰えることもなく、やがて落ち着いたのか左舷高角砲群と後部高角砲群がドンドンと景気よく南の水平線上にこれまた猛烈な弾幕を打ち上げはじめた。並行する伊吹と「鞍馬」に対して斜め四十五度ほどに開いた角度に転舵した「富士」も既に主砲は沈黙し、同じく強烈な高角砲群が同様に弾幕を張り始めた。
「「鞍馬」より司令宛電信。左舷中央で魚雷至近爆発、医務室など居住区小破、喫水線下外板に亀裂応急処置済み、損害軽重、我戦闘に支障なし。」
森下は小さくうなずいた。「鞍馬」の艦長栗戸大佐は砲術の神童と呼ばれた男で、操艦も定評がある。今回も何も言わずとも森下とほぼ同じように回避運動を起こして、五本の魚雷を回避したが、伊吹より数百メートルほど魚雷側だったのでかすり傷だが至近弾になったのは、彼にはやや運が悪かったかもしれない。
「雷撃機 2機撃墜!」
「よし、残り1機はどうした!?」
「見えません、不明。電探にも感無し。未確認ですが、打ち落としたようです。」
今までボンボンと無数の砲声を上げていた高角砲群が静かになった。砲煙は前方へと流れている。
ほっと胸をなで下ろす間もなく見張員が再び叫んだ。
「雷跡っ!右舷っ!」
「とりかじっいっぱいっ!赤々っ!機関っ!!左舷機逆転一杯、 右一杯緊急っ!」
森下が大きく叫んだ時、最後の雷跡は艦首へ吸い込まれるように向かって突撃していた。撃墜未確認の敵機からのものに間違いなく、恐らく激烈な対空砲火をくぐり抜けるためぎりぎりまで低く海上を飛んで波間と波間を縫って魚雷を放ったに違いない。敵機はどうなったのか?弾幕に破れて海上でバラバラになったのか、あるいは雷撃に成功したものの不意な高波に飲み込まれて波浪の悪魔に飲み込まれて砕け散ったのか。いや、そんなことはもはや関係なく、ただただそれはまるで墜落したパイロットの最後の執念に見えた。
伊吹は魚雷から逃れようと漸く艦首を大きく回らした。スタビライザーを収納させていたので、急速で舵角の大きい転舵は、伊吹の重い上構を思い切り右に傾けさせ横に長く伸びた伊吹のマストのメインヤードが浪に触れんばかりに著しく傾いた。あと、五十メートル、二十メートル、十メートル!!大きく傾いた艦橋の誰もが手近なものに手を掛けて身を支えて次に来るであろう衝撃に、そして状況を知らぬ艦内の者は今すぐの未来になにかが起こることに備えて身を縮込ませた。
「魚雷船首左舷へ抜けましたぁー!」
見ると白い雷跡は伊吹を追い越して、前方へと進んで行く。そしておよそ百メートルも進んだところで海面を沸き立たせて爆発し大きな水柱を一瞬立ち上げたが、やがて何事もないように洋上は暗い波、波、波のうねりがただ広がってゆくだけになった。
「ひやぁー、心臓が裂けそうだったよ。」
制帽を脱いで、渡邉が汗びっしょりの額を袖でぬぐった。
「戦闘終了!各員第一警備配置につけ。」
慶賀野少尉が復唱しそれは艦内スピーカーで全艦に放送された。
「今のはやばかったなぁ。」
ハッチから顔だけ出して見張所から覗いていた川村砲術長がやはり脱力したような顔して、そう言うとすっと振り返って室内へ入った。
###みなさん、だいじょうぶですか?###
すうっと伊吹が精神遠隔感応で語りかけてきた。
「副長、弾道管制室へ電話してくれ。」
森下もようやく緊張の顔をほっとほぐして、見張所から艦内にはいるとどっかり艦長席へ座った。即、大好きな煙草を加えてマッチを擦り、ふわーと大きく煙を吐いた。
慶賀野が繋いだ受話器を渡邉は受け取って、テレグラフに体を預けながら弾道管制所を呼び出した。
「艦橋より。藤原准尉へ。雷撃は無事回避した。みんなヘトヘトだけど元気だよ。」
苦笑してつとめて明るい声で渡邉は報告した。戦闘の後の御嬢様の声は一服の清涼剤だな。
###お疲れ様でした、ああ、よかった。。。。初めてあのような魚雷の恐ろしさを見ました。怖かったです。###
その感じは、どこか明るく安堵感を想わせた。
「准尉も御苦労だった。次の戦闘に備えて休め。」
###わかりました###
『今井です。副長、戦闘分析を至急行います。お時間宜しければ艦橋へおうかがいしたいんですが。』
電話から今井大尉が話しかけてきた。
「ん、すぐ来てくれ。」
すると渡邉は小声で付け加えた。
「その前に美味いココアでも飲みたいところだね。」


*1:要検討、後日訂正