「大地の歌」

交響曲と言えるギリギリの線?

言わずと知れたマーラーの最高傑作とも言われる「大地の歌」。この曲はこれまでの交響曲に類型が見あたらない点で、恐ろしくアイデンティティーを主張している。まずまず全曲独唱を持つ多楽章形式で、交響作品というのも、ん〓〓〓思いつかないが、この曲の後ではショスタコービッチの14番「死者の歌」、グレツキの「悲歌の交響曲」、未聴だけどツェムリンスキーの「叙情交響曲」くらいかな。大体下手すりゃ歌曲集で片づけられそうな訳で、結局、「作曲者本人がそう名付けたらそれが交響曲なのだ」って誰かが言っていたことを思い出します。
全6楽章で、どの楽章も色彩感豊かで詩の内容と併せてビジュアル。オーケストレーションテクニックはもはや神懸かり的でマーラーの神髄を見る思いだが、わけても6楽章「告別」はこの交響曲全体の約半分の長さを持ち、作曲者が一番言いたい部分であり、更にはマーラーの後期交響曲3曲のライトモチーフ的フレーズが存在していて大変興味深い。
まず、イントロ。タムタムが寺院の寺の鐘のように幽玄な趣を響かせるとオーボエがアジアンテイストな散文的メロディーを嘆くかのように奏すると独唱が黄昏を歌う。(恍惚です)以下、淡々と夕暮れの情景と渓谷の木下で親友を待ちわびる私(マーラー?)の心境が歌われます。やがて、友は来て馬を下り、別れの杯を差し出します。主人公は「どこに往くのだまたなぜ往くのだ?」と尋ねると、友は愁いを持って「この世に私の幸福はなく、疲れ果てたのでふるさとへ帰るのだ」と告げる。主人公は友にそれ以上問わずそのシーンは歌われないが友は去ってしまう。主人公は考える。「それでも春になれば愛する大地に花は咲き乱れ木々は緑に覆われ、世界は果てまで青く輝きわたるだろう、永遠に、永遠に。。」
1楽章で「生は暗く死は暗い」と歌い始めて「生きることの意味」を問うたその結論として、終楽章で人生の儚さに対する生死を超えた「自然への回帰」を持ってきたように感じるが、いかがであろう。

異論はあるだろうが、アルト独唱をバリトンとして男声のみとした時、
終楽章も男声で歌われることになるので、詩の内容からして
私はこちらの方が好ましく感じる。
名演です!
マーラー:大地の歌

マーラー:大地の歌