「レクイエム」

唯一無二のレクイエム

フォーレの素晴らしさは、その独特の万華鏡のような和声法と伸びやかで美しくしかも魅惑的なメロディーのたゆたう音楽だと思うのだが、それにしてもこのレクイエムほど心を安らぎ癒してくれる音楽は無いのではないかなぁ。
誰でもこの曲の悪口を言う者はいないだろう。もし居たらそれは、人間的情緒の欠けた人間だと想うぞ。。。この曲を聴いた人は、「作曲者は敬虔なキリスト教徒の信者の一人」である事を疑うまい。
ところがどっこい。実はフォーレは不可知論者で教会のオルガニストのくせに偶像の「神」を信じていないリアリストであったらしい。これは息子フィリップもヴュイエルモーズも書いているので間違いない。実際、レクイエムから感じるものは、どこかモーツァルトやベルディなどのレクイエムのいわゆる宗教的香りとは違う、モダンで洗練された感性による鎮魂の祈りでキリスト教的なものから離れている。十字架を背負っていないのだ。よく言われることだが敢えて被って言うなら、「怒りの日」を比較的短くクライマックスとして描くが派手な仕掛けは無いのと「楽園にて」という明るく清浄な曲がラストになっているという、この二つの点が古今のレクイエムの範から大きく逸脱している点が証明として上げられるであろう。もちろん、フォーレのレクイエムに「神」は存在する。しかし、多くの識者が語るとおり誰もがそこに偶像的「神」を感じることはなく、ただ誰もが自らに持つであろう「優しさ」「敬虔な心」が喚起させる感動こそ「神」と被らされるのではないか。(以前も記事で触れたことだったが。。)
ヴュイエルモーズ曰く「このレクイエムは敢えて言うなら他人の信仰に敬意を払う不信心者の作品である。」
うまい!
まさに真剣・真面目で虚栄を張らず礼儀正しいフォーレは、「信仰」の美しさを外側から描いて見せ讃えたのだ!
ということで興味深いこの「レクイエム」、合唱・独唱・管弦楽(バイオリンはヴィオラより地味!)・ハープ・オルガンという編成。しかし爆発的な部分は全くなくff以上の記号は全く見あたらないごく控えめなしかし十分説得有るオーケストレーションで、全域にわたり「恍惚」「恍惚」!
特に2曲目「オフェットリウム」4曲目「ピエイエズ」そして終曲「楽園にて」は、これ以上敬虔な祈りの響きは無い超「恍惚」の音楽です。

実に美しく奥行きのある「レクイエム」
「ピエイエズ」では、バトルの伸びやかなソプラノ歌唱が震えるような説得力で迫るぞ!
フォーレ:レクイエム

フォーレ:レクイエム