〜彼方からの閃光〜#14

 
 治療所に降りてきたときに比べても歩く先々は被弾による破壊が進んでいた。あの清潔で整理整頓が行き届いた艦内はぶら下がった電纜が狭い空間を塞ぎ、廃屋のようだった。そこかしこからパイプから漏れるオイルか廃水か、吹き飛んだ血肉と共に通路を赤黒く染めて、どこからともなくそれらは流れてくる。鋼鉄の艦内に響き渡る、くぐもった爆発音、乱れ飛ぶ戦闘指示の怒鳴り声、応急員の喧噪、悲鳴、叫び、うめき声。ありとあらゆる騒音が満ちあふれ、生きているのか死んでいるのか分からない座り込んだ兵員、うつぶせになって手だけを動かしている兵員、弾道管制所までの道は、全く修羅地獄のようだった。一歩一歩はとても重い足取りであった。行くごとに新しい惨状を見る。行かねばならないとはいえ、それは茨の道のように伊吹には思え、まだ無傷でいる自分の体に何かが巻き付いて締め付けてくるような錯覚を覚えた。
 背高のっぽの櫻井はそんな周りの惨状をまるで我関せずと歩き続けていたが、不意に立ち止まって、後ろを振り返った。
「藤原准尉は東京大空襲で御両親を亡くされたそうですね。」
 虚ろな妙に落ち着いた言葉だった。櫻井に続いて背後で立ち止まった伊吹は凛として尋ねた。
「なぜ、貴方はそんなことを知っているのですか?」
 振り返った櫻井の目はぎょっとするほど見開かれて、その瞳の深い闇に蔑むような眼差しだった。しかし伊吹は、キッとそれを見返す。
「だぁれもが知っていますよ、噂で。」
「そんな噂をなぜ、今、尋ねてくるのですか?それより先を急ぎましょう。」
「まぁ、待ってください。」
 すっかりこちらに向き直って櫻井は手揉みをしながら伊吹に近づいてきた。その背の高さに伊吹は圧倒される思いだった。
「私もね」
 体が触れあわんばかりに近づいた櫻井は伊吹をまるっきり見下ろすように視線だけを下に落とし、言葉を繋いだ。
「家族を、年老いた両親と4人の子供と妻をあの空襲で亡くしたんです。」
 と、轟々たる爆音が遠く鳴り響いた。
 それは伊吹の眼前にあの恐ろしい空襲のパノラマを展開させた。漆黒の夜空に空襲警報のサイレンが鳴り響く。静かだが腹の中をえぐるような低い爆音を立てて連合軍の大型爆撃機B29が飛来し、サーチライトの光芒が舞い踊る。陸軍の高射砲が対空放火を次々と打ち上げるにも関わらず、悠々と成層圏を我が物顔で無数の爆撃機は焼夷弾を次々と落としていった。仰ぎ見る花火のように広がって降り注ぐ焼夷弾は、呆然としている間にも、たちまち周囲を焼き焦がし、やがて燎原に火を放つがごとくあの広大な藤原家の屋敷は燃えあがり、ごうごうたる劫火の中で逃げ遅れた者達が火だるまになって倒れてゆくのを伊吹は何人も見た。崩れ落ちる屋敷、阿鼻叫喚に満ちた庭、それでもその悪魔のような縦断爆撃をやめない遙か空彼方からの凶悪な黒い怪鳥。
「准尉は、なぜ今更、戦うことを避けたのですか?」
 櫻井の問いに不意に現実に引き戻された。
「・・・・」
「貴方は逃げた。その結果が今、眼前に広がるこの惨状です。分かりますか?貴方が招いたのですよ、味方の、今の、この悲劇を。」
 法廷に泰然とする裁判官もかくやというように冷たく落ち着いた静かな口調だった。それでも伊吹は、櫻井の視線に自分の視線を合わせて、その冷ややかな批判を正面から受けていた。
「おやおや、本当のことを申し上げただけですがね、やはり貴方もその罪を認めてなさっている。」
 伊吹のうなじには脂汗がにじみ、握りしめた両の手は小さく震えているのを、櫻井は見逃さなかった。軽く口を歪めて不気味で虚ろな表情で櫻井は更に言った。
「今、やらねばやられてしまう、そういう簡単な理屈を聡明な貴方が分からないはずはない。それなのに、貴方は鬼畜連合軍に背を向けて、戦うことを避けた。そこかしこで死んでゆく味方の人間をどうみているんでしょう?貴方は”能力”があるから、一人助かるつもりなのかも知れないですね?」
「そんな馬鹿なことはあり得ませんっ!」
 伊吹は、突然、激昂し叫んだ。それは語尾がつり上がった叫び声であった。すると櫻井は深く首を下げ、両目を右手で覆った。それからたっぷりに首をかしげて指の間から伊吹をぎょろりと覗き見た。
「あり得ない??」
 伊吹はたまらず半歩後ずさった。櫻井は猫背になると、ぶらりと手を下ろして、ずいっと伊吹に近づいた。
「そうですか?貴方は味方の命よりも敵の命のほうが大切なんじゃないですか?だって、今現実にそうなっているじゃないですか。それは貴方は貴方自身が死んでも良い、お国のために命を投げ出そう、国民のためにその身体を捧げようと言う、愛国の精神が不足しているからでしょう?ひいては、結局のところ何があっても自分は死なない自信がお有りだから、できるんですよ、こんな風になるのを分かって戦闘放棄をね。
もし、お国のために死ぬ気があるなら、そんな馬鹿なことをするわけがありませんよね。」
そして、櫻井は伊吹の顔へぐぐっと自分の顔を寄せて言った。
「貴方は卑怯者だ。」
伊吹はわなないて足下からその場へ崩れ落ちた。それでもかろうじて櫻井の視線を交わさずに、小さく呟くように嘆いた。
「わ、わ、私は卑怯者なんかじゃない。。。。。」
櫻井は胸をばっと張り、小さく座り込んだ伊吹をじっと見つめた。
「私がこれから死ぬのも貴方のせいだ。」
「違うわっ!違う!」
「いや、この艦の乗組員がこれから死んじまうのも貴方のせいだ。」
「そんなことは!違う!違う!違うっ!違うの!」
「だったら、誰のせいなのですか?さぁ、誰のせいなのですか?」
 伊吹は混乱した脳を何とか整理しようとつとめた。戦争が悪い、戦争を始めた者が悪い、それは帝國。帝國が戦争を始めた。いや、戦争を始める理由が悪い。帝國が宣戦布告したのは、列強が帝國を亜細亜から排除しようとした。無理難題を突きつけて帝國の立場を危うくした。帝國は悪くない。連合が悪い。連合?でも今戦いを連合のために私は止めてしまった。敵とは言えあの若いパイロットの死を私は招いた。私は殺した。何のため?何のため?彼を殺さねば、彼は私を襲っただろう。おそわれたら私はどうすれば良かったのだろう?死んじゃう?でも死ぬことは怖くない。いや、怖い。だから殺した。「伊吹」の、味方艦隊のほうが大事だから。だから私は彼を殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。
「さ、答えてくださいよ、准尉。藤原伊吹准尉。」
 櫻井の執拗な質問は繰り返された。伊吹はもはや力も失って顔を下に落とし、もはや櫻井に答えることは出来なかった。
「全く、お嬢さまは情けないですな。いや、もうしわけございませんでした。」
そう言って降って変わったように笑顔になった櫻井は、荒っぽく伊吹の華奢な体を助け起こした。
「ふへへへ。さ、弾道管制所へ急がねばなりませぬぞ。しっかりしてください。」
 櫻井はふらふらと立ち上がった伊吹の手を強引に曳いて再び砲声鳴り止まぬ通路を歩みだした。伊吹はまるで人形のように力なく歩み、その手を曳かれるままであった。
 一、二分ほどして漸くたどり着いた弾道管制室の装甲の中に入り、櫻井に押し込まれるように背中を押されてドアハッチを閉じるとまるで別世界のようにそこは静寂に包まれた。
「准尉、敬礼はどうした。」
 恫喝されて、すぐ小さく敬礼した伊吹は、どうにか我にかえり、室内を見渡したが、そこに居たのは、発令所長の高柳少佐と知らない数名の兵員達だった。今井大尉はおろか、金山兵曹も板見上等兵も居ない。
 伊吹はいぶかしんで、すぐに口を開いた。
「高柳少佐、今井大尉はどうされたのでしょうか?」
 高柳は不敵にニヤリと笑って伊吹の視線から逃れて後ろを向いて答えた。
「今井か。あれはまだ防空指揮所にいる。いや、今さっきのマスト近辺への被弾で死んだかもしれない。」
 冷たく言い放つと高柳はくるりと再び伊吹に向き直り、威喝した。
「藤原伊吹准尉。質問だ!君は何のためにこの巡洋艦「伊吹」に乗り組んで居るんだ?」
 伊吹は後ずさりして、高柳の強い視線から顔を背けた。
「私は。。。。。」
 彼女は答えることができなかった。
「だいたい、日吉の猿どもは考えることが手ぬるいっ!汝のような小娘の超能力に頼る本作戦で、甘い、甘い」
 彼はここで口をゆがめてせせら笑った。
「いわゆる海軍的なジェントルな態度を今更、示してどうする。」
 そしてかつかつと伊吹に近寄って、伊吹の顔をじっと見つめてしかし脅迫じみた口調を激昂して言い放った。
「これは”戦争”なんだよ。」
 そういったとたん高柳はドンと操作盤を叩いた。
 さらに後ずさりして、恐ろしさに逃げようとした伊吹を櫻井上等兵が体ごとがっちりと捕まえた。伊吹は激しく抵抗し、櫻井の下腹部に肘鉄を食らわせた。うっと体をかがませた櫻井が腕をゆるめた隙に伊吹はするりと腕から抜け出して、ハッチドアへとりついた。が、しかし、ドアは八箇所とも既にクリップが留められていて、簡単に開けなかった。
 櫻井が苦笑しながら
「准尉、だめですよ、暴れちゃ。」
と言いながら手をさしのべて来た。
 伊吹は振り返りざま咄嗟に念動力を発揮し、櫻井を突き飛ばした。櫻井は五メートル先の背後の思念波増幅装置にぶち当たって、崩れ落ちた。そうとう打ったらしく、かなり痛そうに腰をさすって上目で伊吹を睨んだ。
「まぁ、待ちたまえ。」
 高柳が笑って伊吹を制止したが、伊吹はさっと身を翻して高柳少佐の体も櫻井と同じように念動力で突き飛ばした。高柳もまた操作卓へ押し飛ばされてしたたかに腰をそれに打ち付けて、その後椅子に顔面をぶつけた。伊吹は念動力で八本のすべてのクリップをはずし、ハッチを開こうとしたが、厚さ一〇二ミリ装甲の一部であるハッチドアは思いの外重くて、手で開けなかった。そこですぐに念動力を使おうと身構えたところを、他の兵員たちにわらわら取り押さえられてしまった。伊吹は念動力で再び彼らを振り払おうとした。が、突然何か力が抜けたようになり、いくら念じてみても兵員たちの手を振りほどくことができない。
「いい加減にしろ、准尉。」
 高柳が苦虫をつぶしたような顔で怒鳴った。
「思念波増幅装置には君の知らない機能が実はあるんだよ。」
 そういうと、ぶつけた頭をさすりつつ高柳は伊吹に近づいて、締め上がられている彼女の顔の顎を右手でくいっと持ち上げた。
「もう、念動力も念視も思念波も使えないぞ。あの装置にはな、こんなこともあろうかと、”能力”の中和機能を持たせてあるんだ。いつ何時、おまえのような者が反乱するとも限らんからな。」
 高柳はそう言い捨てて、思念波増幅装置の左横の壁面にある鍵の掛かった小さな蓋を開き、そこから三つある小さな青い小瓶の一つを取り出した。
「更にこれが本作戦の最大の素晴らしい秘密兵器なのだ。」
 じたばたする伊吹を兵員たちが高柳の前に引っ張り出して、羽交い締めにしたまま差し出した。櫻井が高柳の手からその小瓶を受け取る。
「なにをするんですか!?」
「何?いや、簡単なこと。君が心置きなく、何にも捕らわれずこの「伊吹」の主砲を扱い敵を殲滅できるようにさせて差し上げようと言うだけのこと。」
 高柳はまじめな顔で澄まして説明した。
「これは特B剤と言ってな。いわゆるB剤という覚醒剤は既に特攻機の操縦士などに使われているのを知っているだろう。名前は似て非なる物だがね。」
 そこまで言うと椅子にどっかりと座って、両手を組み合わせて見物すると言った趣で高柳は話を継いだ。
「君は感情に流されて戦闘放棄するであろうと言うことは、我々は当然予測していた。まさにそれは図星となった。そのために我々はある対策を講じてある。それは実に簡単なものだ。」
 高柳はいっそう身を乗り出して伊吹の瞳を見つめた。
「その対策とは、ある暗示を君にかけることだ。そしてその暗示により、君は我々の忠実なる戦闘兵器”セ号”となる。我々の指示通り、躊躇無く戦闘してくれる人間と戦闘艦の融合兵器だ。この特B剤を投与すれば、君はすぐに今のくだらない煩悩を振り払って、敵を殺めるのも、何の罪の意識も感じないように成れる。」
 高柳は晴れやかな笑顔を浮かべた。
「君も楽になれるんだヨ。」
 伊吹は自分の全身から汗が噴き出るのを感じた。私が戦闘兵器セ号?大尉は知っていた?
「何、慣れれば良いだけのことだし、実際、既に君は訓練でその状態を数度経験済みなんだよ。君は忘れているだけだ。」
 青い小瓶が差し出された。ラベルは無く、ただキルクの蓋に”特B壱”とだけ書かれている。櫻井がその蓋を開いた。甘い匂いが流れてきた。
「今、本艦いや第二艦隊を含めて我が護衛艦隊は未曾有の危険状態だ。我が艦も各部は被弾し、機関も一軸つぶれて舵も一つ飛んだ。電探は無く、時限信管による迎撃もまったく役に立たない。もはや、我々が生き残るには君が再びこの巡洋艦そのものになって全火器をコントロールし、敵航空機を殲滅する以外無い。そしてそれは今からでも十分可能だ。」
 高柳は小瓶を高く掲げて灯火に透かし見た後、伊吹の口元へそれを押し付けた。
「これは本作戦を立案した我が帝國海軍上層部の意志でもある。」
 更にぐいっと小瓶を伊吹の唇に押しつけたが伊吹は顔を背けてそれを拒んだ。念動力さえ使えれば。伊吹は地団太を踏んだ。
「飲め!飲むんだ。」
 高柳は伊吹のあごを捕まえて唇をこじ開けて、小瓶の液体を数滴与えようとした途端、伊吹は高柳の顔にぺっと唾を吐きかけた。
「このぉ、小娘っ!」
 高柳は伊吹の右頬を思い切り殴った。そして、唾をぬぐいつつ伊吹の体を掴みあげると怒鳴った。
「上官に対してその態度はなんだ!貴様のような者は人間の扱いしてもらえるだけありがたいと思え!」
 言い終えた途端、ばっと伊吹は放り投げられて、居並ぶ兵員に抱きかかえられた。そして強く羽交い絞めにされてしまった。
「櫻井っ!注射器に詰め替えろ。」
 櫻井が無表情に高柳の手から小瓶を預かって、背後のロッカーへゆき、そこから取り出してきた小さな注射器を見て、伊吹は叫んだ。
「いやっ!やめて!」
「そう、いやがることはないだろう。君が慕う今井大尉が君に訓練ではやっていることなんだから。」
 伊吹は愕然とした。
「今井大尉が?」
「何、この薬を使った後は記憶が残らんのだ。普通は君に飲み物を勧めて投与していただけさ。もっとも極少量で短時間実験していただけだがね。十分、使用に耐えることは確認されている。」
 櫻井が小瓶の透明な液体を注射器に移し変えて、伊吹の左腕を掴んで制服の袖をまくった。伊吹は観念した。伊吹にはにわかに信じられなかった。いつも優しい今井大尉。本当なの?
 それまでのさまざまな心の痛手に重なる、殴られた衝撃と信じていたものを裏切られた衝撃に伊吹はやや混濁した目で、注射器のきらめく細い針が、白い伊吹の細腕に突き刺されようとするのを見守った。